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館長の朗読日記1964/八千代「新・みちの会」の朗読レッスン

館長の朗読日記1964  (戦後72年02月26日 新規)



○八千代朗読サークル「新・みちの会」の朗読レッスン(1)

 昨日(2月25日)の13時30分から、八千代朗読サークル「新・みちの会」の朗読レッスンを行なった。今回は第3期・朗読ステップ2の第8回目、レッスン台本・宮澤賢治原作「雁の童子」の2回目である。宮澤賢治の作品は、どの作品もなかなか一筋縄にはいかない。特に主人公の童子のセリフには色々と分からない点が多い。

 一体に、宮澤賢治の作品を初め太宰治や芥川龍之介の作品には色々と分からない点が多くある。いわゆる、何かひっかかってくるところがアチコチとあるのである。私の経験では、そういうところは彼らの作品を深く解読するためのヒントになったり糸口である場合が多い。あまり安直に解釈して分かった積もりにならない方が良い。

 今回のレッスンでも、私から色々と分からない点やひっかってくる点を指摘した。しかし、その場で表面的な解釈をすることなく、しばらくは分からないこと、ひっかってくることを、胸のなかに抱えこんで温めておくように助言した。それらの疑問点が、あるとき一挙に分かってくる瞬間が会員たちに訪れないとも限らないからである。



○八千代朗読サークル「新・みちの会」の朗読レッスン(2)

 それらのことは、私自身が体験した事実に依っている。いわゆる体験智なのである。最近の芥川龍之介「杜子春」がそうであった。数年前の、太宰治「走れメロス」「富嶽百景」「黄金風景」や芥川龍之介「玄鶴山房」や宮澤賢治「おきなぐさ」がそうであった。さらに遡れば宮澤賢治の「セロ弾きのゴーシュ」がそうであった。

 それらの諸作品における私の解読は、本質をついた画期的なものと私は自負している。それらの解読は、私自身が永年胸に抱いていた分からなかった部分やひっかかっていた部分を糸口にして考察を重ねたものである。同時に、その解読の結果、それらの疑問点はすべて氷解したのである。氷解した瞬間の喜びは、今でも忘れがたい。

 今回の宮澤賢治原作「雁の童子」について、上記の諸作品と同じような解読ができるか否かは分からない。今のところ、私自身も、この作品に対して、今後、作品の本質をついた画期的な解読ができるかどうか全く分からない。しかし、今後しばらくは、この作品の色々な疑問点や不可思議な点を大切に抱え込んでいくつもりである。




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