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館長の朗読日記1971/八千代「新・みちの会」の朗読レッスン

館長の朗読日記1971  (戦後72年03月12日 新規)



○八千代朗読サークル「新・みちの会」の朗読レッスン(1)

 昨日(3月11日)の13時30分から、八千代朗読サークル「新・みちの会」の朗読レッスンを行なった。今回は第3期・朗読ステップ2の第9回目、レッスン台本・宮澤賢治原作「雁の童子」の3回目である。宮澤賢治の作品は色々と分からない点が多くある。そういう点は解読の有力な糸口だから大切に扱うように注意した。

 前回のレッスンでも同じようなことを注意したのだが、会員の皆さんの反応をみていると必ずしも私が期待しているようなものではなかった。やはりこういうことは、その対象に正面から立ち向かって考察を重ねその対象が含む謎を実際に解いた経験がない人に、口で言っただけではなかなか理解してもらえないもののようである。

 拙著『朗読の理論』を読んで面白く感じた読者は、そういう謎解きの面白さを理解した方々なのだろう。私の朗読レッスンを面白く感じて続けてくれているサークル会員も、恐らくそういう謎解きの面白さを理解してくれているのだろう。ただ、その謎解きの面白さを自分で体験できる人は、そのなかの一部ということなのだと思う。



○八千代朗読サークル「新・みちの会」の朗読レッスン(2)

 今回は、ある最古参の会員との朗読的なやり取りに大いに感じたことがあった。その会員に、朗読しているときにどのくらいイメージを先行させているのかを訊いてみた。その会員は、朗読している箇所の前あるいはその前の段落で表現されていたことを踏まえて、それを受けてどのように朗読するかをイメージしている、と答えた。

 朗読するときに先行的にイメージする内容は、幾層にも分かれて重なっている。最も基本的なイメージは、1つ1つの言葉(文節)のイメージである。しかし、そればかりイメージしていたのでは、ブツブツと途切れた朗読になってしまう。その言葉のイメージを踏まえて、複数の言葉(文節)をまとめた文としてのイメージとなる。

 そのつぎにイメージしなければならないのは、いくつかの文をとおして表現されている文章としての意味の流れである。すなわち文章の構成としてのイメージである。この会員がイメージしたものは、この構成的なイメージだったのである。その場合には1つ1つの言葉(文節)や文の内容をイメージすることは無意識化されている。





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