館長の朗読日記2085/八千代「新・みちの会」の朗読レッスン
館長の朗読日記2085 (戦後72年11月27日 新規)
○八千代朗読サークル「新・みちの会」の朗読レッスン(1)
一昨日(11月25日)の13時30分から、八千代朗読サークル「新・みちの会」の朗読レッスンを行なった。今回は、第3期・朗読ステップ3の第4回目、最初のレッスン台本・芥川龍之介原作「毛利先生」の第4回目である。今回も、会員に順々に4分ほど「毛利先生」を朗読してもらい、その朗読に対して指導していった。
今回、語り口が飛躍的に良くなった会員がいた。この会員は演劇経験が長く、いわゆる新劇調の機関銃を速射するようなセリフ表現に馴染んでいた。今秋の朗読発表会直後のレッスンで、朗読発表会の録音を全員で順々に聴き、私が1人1人の朗読について講評した際に、自分の朗読の録音を聴いて大いにショックを受けたという。
再生機が公民館の備品のラジカセで、音質がかなりひどかったせいもあるが、録音では、その会員の朗読内容があまりよく聴き取れなかった。初めは自分の滑舌が悪いと思ったらしい。しかし、これは滑舌の問題ではなく、根本的な原因は1つ1つの言葉が立っていない語り口の問題である。今回、それを初めて納得したらしい。
○八千代朗読サークル「新・みちの会」の朗読レッスン(2)
今回は、言葉の1つ1つを、その2音目(あるいは1音目)をくっきりと上げながら、注意深く立てて表現していた。まだ若干ぎごちないが、すぐに慣れてくると思う。それこそが、本人が現実の生活でおこなっている語り口なのだから。この台本でむずかしいのは、毛利先生のセリフ表現である。思い切って表現する必要がある。
レッスン歴の短い会員は照れがあって、毛利先生のセリフを思い切って表現できない。こういう場合、舞台の上では、思い切った表現をする方が格好が良い。中途半端な表現はかえって格好悪いのである。これも私が口で言っただけではなかなか分からない。当人の中途半端な表現の録音を自分で聴かなければ納得できないと思う。
レッスン後に、来年の朗読発表会の原作を何にするかを会員全員で相談していた。こういう場合、私は極力聴き役に徹する。必要最小限のアドバイスはするが、できるだけ会員の自主自立的な総意にまかせることにしている。このサークルは、来年も大作を全員で読み継ぐ形式で上演する。その原作選びは、大変だが、また楽しい。
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