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館長の朗読日記2226/読み継ぎ形式の朗読上演の意義と実績

館長の朗読日記2226  (戦後73年09月15日 新規)



○読み継ぎ形式の朗読上演の意義と実績(1)

 私が指導する朗読サークルの朗読発表会には2つのスタイルがある。1つは1人1作品形式の朗読上演、1つは読み継ぎ形式の朗読上演。1人1作品形式の方は、世間で通常おこなわれている朗読会と同じスタイルだから、改めて説明する必要はないだろう。問題は読み継ぎ形式の方である。今回、改めて説明する必要を感じたので、ここに記すことにした。

 世間で通常おこなわれている1人1作品形式の朗読会は、原作の文学作品を短編から選ぶか、長編のごく一部を抜粋するかのどちらかである。他人の朗読を聴くのはエネルギーを要する。そのため、よほど優れた朗読者でなければ、長時間の朗読を上演できない。通常は、1人の朗読時間は20分くらいが限度である。そのため、朗読台本も短いものとなる。

 結果的に、世間で通常おこなわれている朗読会においては、中長編の本格的な文学作品をあつかうことができなかった。そういう従来の朗読会の限界を打ち破り、朗読時間が2時間~2時間半くらいの中長編の本格的な文学作品の上演をすることが、そもそもの読み継ぎ形式の朗読上演の目的であった。これを本格的かつ継続的に始めたのは多分私であろう。



○読み継ぎ形式の朗読上演の意義と実績(2)

 ただし1人1作品形式の朗読上演の限界を打破する試みは他にもあった。セリフの部分の朗読を登場人物ごとに配役を決めて別々の朗読者が受持ち、地の文についてもそれだけを朗読する朗読者を別に配役するスタイルである。これを「演劇形式の朗読上演」と名づけておく。この演劇形式の朗読上演は実は朗読ではない。一種のセリフ劇、演劇なのである。

 本来の演劇上演は、作品世界の各場面を視覚的に舞台上に再現しなければならない。大掛かりな舞台背景や大道具小道具などの準備が大変である。演劇形式の朗読上演の場合は、それらを大幅に省略できる。出演者も少人数に絞り込める。そのために、演劇の演出家や役者にとっては、手軽かつ安価に上演できる演劇の代替物のように思われたかもしれない。

 朗読は1人の朗読者が文学作品の文字言語を自身の音声言語で再表現する芸術である。文学作品の作品世界に登場するすべての人物、すべての事物や出来事、要するにその文学作品の作品世界のすべてを自身の音声言語で表現する。そして、その作品世界のすべてを聴き手の頭と心の中にイメージとして再現してもらう。演劇とは似て非なる芸術なのである。



○読み継ぎ形式の朗読上演の意義と実績(3)

 読み継ぎ形式の朗読上演は、朗読本来のスタイルを保持しつつ、そういう朗読を何人かの朗読者で読み継いでいくことにより、1つの中長編の文学作品を一挙に朗読上演しようというものである。朗読の読み手を次々と変えることによって、朗読の鮮度を保ちつつ、2時間~2時間半(途中15分程度の休憩時間を挿入)の間は観客に舞台に集中してもらう。

 読み継ぎ形式の朗読は、戦後61年(西暦2006年)に初めて上演して以降、現在までの約12年間、実に60回近くの公演実績を重ねてきた。そして、私が当初予想した以上の感動をつくることができたと思っている。上演時間が2時間~2時間半ということは、普通の映画の上映時間に匹敵する。その間、作品世界を観客にイメージしてもらっている。

 私が指導している朗読サークルの会員の皆さんも十分に手応えを感じていて、さらに高度な内容の文学作品や古典的な香りをもつ文学作品に挑戦し始めている。加えて、朗読発表会だけでなく、中学校などへのボランティア朗読をこの読み継ぎ形式でやったり、さまざまの自立的な朗読会でこの読み継ぎ形式の上演をして、大変な好評を得ているようである。


 

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