館長の朗読日記2841/千葉「風」の朗読レッスン
館長の朗読日記2841 (戦後78年04月02日 新規)
○千葉朗読サークル「風」の朗読レッスン(1)
昨日(4月01日)の9時30分から、千葉朗読サークル「風」のレッスンをおこなった。今回は第4期・朗読ステップ1の第8回、レッスン台本・小山内薫原作「梨の実」の第3回である。今回も会員1人1人の朗読を指導する本格的なレッスンをおこなった。この「梨の実」は短いので、全体を3つのパートにわけ、それぞれを1人の会員が朗読したのを順に指導していく。
今回は、そういうレッスンの冒頭に、最近あらためて気づいたことを解説した。それは、地の文を朗読する場合に、どのような立場で朗読することが最適か、という問題である。文学作品は、いろいろな場面が連続して表現された構成になっている。その各場面を朗読で聴き手に表現していく。これともっとも類似したことをやっているのは、放送の実況中継アナウンサーではないかと思う。
野球やマラソンなどスポーツの実況中継でも、あるいは火事や水害など災害現場の実況中継でも、同じである。スポーツをやっている当事者の立場で表現したのでは、起こった事実を的確に表現すべき実況中継にはならない。そうかといって、冷静沈着に他人事のようにその場の状況を表現したのでは、緊迫感や躍動感や現場にいる当事者の気持や想いを表現することはできない。
○千葉朗読サークル「風」の朗読レッスン(2)
そこで放送の実況中継アナウンサーは、時には現場で活動する当事者の立場になって、時には現場に立ち会った体験者の立場になって、また時には現場の状況を冷静に観察する客観的な観察者の立場になって、その場面を視聴者に向けて話声言語で表現するのである。文学作品に文字言語で表現された作品世界の各場面を、話声言語で表現する朗読者はそれと似ている。
今回、面白いことが分かった。私は、レッスン歴がまだ短い会員には、朗読の仕方に関する具体的な指示を毎回繰り返しておこなうことにしている。今回も、従来と同じようなことを指示したところ、会員の1人が「分からない」と応えてきた。私の指示が理解できないのかと思ったら、そうではなかった。すなわち、私の指示は理解できるが、その指示通りには「出来ない」という意味だった。
人間として自分は「出来ない」ということが言いずらいのであろう。そこで、それを自分は「分からない」という言い方をしたのであろう。しかし、私はそういう点では容赦しない。「分からない」と「出来ない」とは意味がまったく違う。「分からないくて出来ない」場合もあるが、「分かっても出来ない」場合もある。特に、朗読は「分かっても出来ない」場合が多いから、明確に言うように注意した。
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