« 館長の朗読日記2853/品川「あやの会」の舞台リハーサル | トップページ | 館長の朗読日記2855/八千代「新・みちの会」の朗読レッスン »

館長の朗読日記2854/千葉「わかば」の朗読レッスン

館長の朗読日記2854  (戦後78年05月12日 新規)

 


○千葉朗読サークル「わかば」の朗読レッスン(1)

 昨日(5月11日)の13時30分から、千葉朗読サークル「わかば」の朗読レッスンをおこなった。今回は第3期・朗読ステップ6の第5回、新しいレッスン台本/ハンス・ランド原作/森鴎外翻訳「冬の王」の第5回のレッスンである。会員の皆さんも、この作品の朗読そのものにはかなり慣れてきた。

 前回のレッスンでも感じたことだが、この作品を朗読することには慣れてきているが、この作品そのものにはいまだにあまり慣れていないようである。その原因は、遠い外国(北欧)の話しであること、森鴎外が翻訳した言葉や文体が馴染みにくいこと、内容が一般的でなく物語性もあまりないことなどにある。

 そのため、レッスンの重点を会員の「語り口」に置くことにした。入会した当初からかなり芝居心のある朗読をした会員が二人ほどいる。そのうちの一人は、心情を籠めるときに下げて表現する癖(特に言葉の一音目)がまだ抜けない。なまじ芝居心があるので心情表現が表面的なところに止まっている。

 


○千葉朗読サークル「わかば」の朗読レッスン(2)

 もう一人は、心情を籠めるときにテンポが速くなり、言葉の一つ一つがはっきりしなくなる癖がまだ抜けない。なまじ芝居心があるので、自分の心情のなかに入ってしまうため、聴き手に自分の話声言語を伝える(聴いてもらう)という意識が希薄になってしまう。言葉の端々まで神経が行き届かないのである。

 レッスン期間が長くなるにつれて、それらの癖は着実に改善されてきているのだが、まだ十分ではない。そういう癖が自分の朗読表現を如何に妨げているかを、自分の耳で聴き分けられると良いのだが、そういう耳になること自体が朗読のレベルが上がらないとなかなかならない。朗読とはなかなか厄介なのである。

 何やかんやといっても、次回でこのレッスン台本「冬の王」は最後のレッスンとなる。最後のレッスンでは、恒例の、仕上げの通し読みをおこなう。この台本(作品)を会員が少しづつ分担して読み継いでいき、最後に私から講評をおこなう。その次のレッスン台本は、さらにむずかしい森鴎外「高瀬舟」なのである。

 

 

|

« 館長の朗読日記2853/品川「あやの会」の舞台リハーサル | トップページ | 館長の朗読日記2855/八千代「新・みちの会」の朗読レッスン »

05館長の朗読日記(戦後78年/西暦2023年)」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 館長の朗読日記2853/品川「あやの会」の舞台リハーサル | トップページ | 館長の朗読日記2855/八千代「新・みちの会」の朗読レッスン »