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館長の朗読日記2889/船橋「はなみずき」の朗読レッスン

館長の朗読日記2889 (戦後78年/西暦2023年09月23日 新規)

 

船橋朗読サークル「はなみずき」の朗読レッスン(1)

 一昨日(9月21日)の15時00分から、船橋朗読サークル「はなみずき」の朗読レッスンをおこなった。今回は第3期・朗読ステップ6のレッスンの第7回、レッスン台本は森鴎外原作「高瀬舟」の第2回である。今回は、朗読レッスンの冒頭に「私の朗読というもののとらえ方、取り組み方、その取り組みの成果」について今回改めて整理した内容を説明した。

 この「私の朗読というもののとらえ方、取り組み方、その取り組みの成果」についての内容そのものについては、また別の機会に記することにする。レッスン台本・森鴎外原作「高瀬舟」の第2回のレッスンで、会員の皆さんが「高瀬舟」の朗読に苦戦していた。それはそうである。森鴎外の「医者的リアリズム」や「医者的リアリティ」に適応した朗読をすることはむずかしい。

 もっともむずかしいのは、後半に出てくる「喜助」が「庄兵衛」に語る弟殺しの朗読である。特に「喜助」のセリフの中に出てくる「弟」のセリフの朗読表現がきわめてむずかしい。もちろん、この「高瀬舟」という作品は、その他の部分の朗読も大変むずかしい。その結果、会員の皆さんの今の朗読的な欠陥がかなり明確に浮き出てきてしまう。その点がまたきわめて興味深い。

 


○船橋朗読サークル「はなみずき」の朗読レッスン(2)

 例えば、この「高瀬舟」を朗読する場合には、ただ上手な朗読だけでは足りない。相当に厳しい、あるいは真剣な、そして深刻な心情を朗読者の頭と心の内に造らなければならない。さらに、その心情に基づいた朗読表現をしなければならない。こういうことは、平穏な日常生活に慣れている人間には、なかなかむずかしい精神的な作業であり、話声言語的表現である。

 朗読が表現すべき文学作品は、原作者が、時代を超え、場所を超え、人間を超えた、さまざまな作品世界を文字言語で表現している。朗読者は、それを、自分の話声言語で再表現しなければならない。朗読の場合は、文字言語の「意味」を話声言語で再表現するだけではなく、文字言語では表現されていない表現主体の心情まで直接表現しなければならない。

 この点が、朗読表現のむずかしさであり、また、面白さでもあるわけである。朗読者は、表現主体の心情を直接表現するためには、演技的に本気でその気にならなければならない。この、演技的に本気でその気になるという精神的作業は、きわめてむずかしい。それを「高瀬舟」は森鴎外的な「医者的リアリズム」や「医者的リアリティ」で実行しなければならないのである。

 

 

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