館長の朗読日記2909/八千代「新・みちの会」の朗読レッスン
館長の朗読日記2909 (戦後78年11月14日 新規)
○八千代朗読サークル「新・みちの会」の朗読レッスン(1)
一昨昨日(11月11日)の13時00分から、八千代朗読サークル「新・みちの会」の朗読レッスンをおこなった。今回は、第4期・朗読ステップ3の第3回であり、レッスン台本・太宰治原作「黄金風景」の第3回でもある。前回から、会員個々の朗読に対する指導をおこなっているが、そういう指導中に「黄金風景」の細かな作品解説をも少しづつおこなう。
今回は、このサークルの最古参の会員(このサークルは最初の立ち上げだから私が指導してきた全サークルの中での最古参の会員)で、朗読も超一流の会員が、私が他の会員の指導をしていると、チョコチョコとコメントを入れてきた。それが、実に的確で上手いコメントなので、私の解説が他の会員にもとても分かりやすくなったらしい。特に新しい会員に好評であった。
逆に言えば、この「黄金風景」は、きわめつきの短篇であるが、大変に面白いけれども太宰治特有の複雑で高度な内容が籠められているためにかなり分かりにくい。そのため、私の一方的な説明だけでは理解できない部分が多いらしい。そこに、この最古参の会員が質問するような、確認するような、補足するようなコメントを入れてくれると、格段に理解しやすくなった。
○八千代朗読サークル「新・みちの会」の朗読レッスン(2)
ただし、朗読は作品を理解しただけではダメである。その作品理解を踏まえて、自分の話声言語(=音声言語)でその内容を聴き手に表現しなければならない。特に、太宰治の「黄金風景」は、この朗読表現がむずかしい。この「黄金風景」の表現主体は、総てを知っている本来の原作者の他に、「お慶」に褒められるまで「お慶」をいじめたと思っていた原作者がいる。
また、子供(=幼児)の頃の原作者もいる。もちろん、大人になった「お慶」もいれば、女中になった(おそらく小学校卒業した)ばかりの「お慶」もいる。さらに原作者の場合、それぞれの場面の中に視点を置いた原作者もいれば、原作者の本来の居場所に視点を置いた原作者もいる。それらの表現主体を、一人の朗読者が朗読することを聴き手は目撃している。
それらの表現主体を、本来の文学作品においては、総て原作者が文字言語で表現していることを、聴き手は百も承知している。その上で、朗読においては、その文字言語を一人の朗読者が総てその朗読者の話声言語(=音声言語)で表現していることも、聴き手は百も承知している。そういう聴き手を前に、朗読者は朗読するというむずかしさに挑戦している。
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