館長の朗読日記2914/八千代「新・みちの会」の朗読レッスン
館長の朗読日記2914 (戦後78年11月26日 新規)
○八千代朗読サークル「新・みちの会」の朗読レッスン(1)
昨日(11月25日)の13時00分から、八千代朗読サークル「新・みちの会」の朗読レッスンをおこなった。今回は、第4期・朗読ステップ3の第4回であり、レッスン台本・太宰治原作『黄金風景』の第4回でもある。今回も、会員個々の朗読に対する指導をおこなったが、そういう指導中に『黄金風景』の細かな作品解説をも少しづつおこなった。
太宰治の作品は、その文章の流れが基本的に太宰治のセリフのようになっている。特に、一つの文がダラダラと長く続く表現になっている。文の末尾は一応「である」調の《書き言葉》になっている。しかし、文の流れや内容は明らかに《話し言葉》的になっている。そういう文章を自然な「語りかける語り口」で朗読表現することが朗読者の腕の見せ所なのである。
今回の朗読レッスンの場で議論になったのは、主要な登場人物である「お慶」が主人公である太宰治の分身について「あのかたは、お小さいときからひとり変って居られた。目下のものにもそれは親切に、目をかけて下すった」を高く評価しているが、この作品中に「目下のものにもそれは親切に、目をかけて下すった」という具体的な内容が記されていない点である。
○八千代朗読サークル「新・みちの会」の朗読レッスン(2)
こういう議論というものは、数学や物理の問題と違って、唯一無二の正解などというものはない。放っておくと議論が平行線でいつまでも続いて切りがない。残念ながら、途中で、結論の出ないままに中断するしかなかった。しかし、朗読レッスンでこういう議論が起こったことは、大変に好ましい現象である。私は常々「異論、反論、別論」は大歓迎と宣言している。
朗読レッスンの場で、私が一方的に話すだけで、サークル会員は黙ったまま何の「異論、反論、別論」も出ないというのは最も好ましくない現象である。私の話しを、サークル会員が理解できたのか、納得できたのかが分からないままに、朗読レッスンだけが先に進んで行ってしまうのでは仕方がない。会員の皆さんはドシドシ「異論、反論、別論」を出すべきである。
そういう意味で、今回の朗読レッスンは良かったと思う。来週の第25回「小さな朗読館」に、ゲスト出演者の知人友人で車椅子を使用している方が来場されるということが分かった。私が主宰する「小さな朗読館」では、車椅子の使用者とそれを押す人は無料ということにさせてもらっている。今回は、すでにチケットを購入済みということなので、そのままになった。
| 固定リンク
「05館長の朗読日記(戦後78年/西暦2023年)」カテゴリの記事
- 長の朗読日記2922/千葉「風」の朗読レッスン(2023.12.28)
- 館長の朗読日記2921/千葉「わかば」の朗読レッスン(2023.12.18)
- 館長の朗読日記2920/品川「あやの会」の朗読レッスン(2023.12.13)
- 館長の朗読日記2919/八千代「新・みちの会」の朗読レッスン(2023.12.11)
- 館長の朗読日記2917/品川「あやの会」の朗読レッスン(2023.12.06)


コメント