« 館長の朗読日記2916/千葉「風」の朗読レッスン | トップページ | 館長の朗読日記2918/船橋「はなみずき」の朗読レッスン »

館長の朗読日記2917/品川「あやの会」の朗読レッスン

館長の朗読日記2917  (戦後78年12月06日 新規)

 


〇品川朗読サークル「あやの会」の朗読レッスン(1)

 昨日の12月05(火)の9時50分から品川朗読サークル「あやの会」の朗読レッスンをおこなった。今回は第3期・朗読ステップ6の第10回、レッスン台本・森鴎外原作「高瀬舟」の第5回のレッスンである。前回も記したが、この「高瀬舟」は朗読的に大変むずかしい作品だから、この作品を朗読するサークル会員の朗読的実力がはっきりと露出してくる。

 このサークルのベテラン会員の何人かが、朗読表現的にはかなりのレベルに達してきた。そのためかどうか分からないが、声出しがおとなしくなってしまった。否、おとなしくなったというよりも、舞台の上から観客に語りかける声の距離感と広がりが少なくなってしまった、といった方が良いかもしれない。この「高瀬舟」のむずかしさに用心して、慎重な朗読になったのであろう。

 朗読表現の基本は「声出し」である。ただし、この場合の「声出し」は、通常の朗読指導者がレッスンで好んでやる「発声練習」とはまったく異なる。私は、朗読のためにはいわゆる「発声練習」は無意味だと思っている。従って、私の朗読レッスンではそういう「発声練習」を一切やらない。私の言う「声出し」は台本に則した心情とイメージの籠った声を出すことである。

 


〇品川朗読サークル「あやの会」の朗読レッスン(2)

 私のいう「声出し」は大声を出すことではない。音量の問題ならば、私の指導&演出する朗読会、あるいは、私が主宰する朗読会は、会場の大きさに応じて必要ならばマイクを使から、音量そのものはいくらでも補強できる。それより、観客に語りかける声の距離感と広がりと、台本に則した心情とイメージの籠り方の方が重要である。これはマイクでは補強できない。

 ベテランの会員がこの「高瀬舟」の朗読に慎重になり、なかなか「声出し」の方まで気が回らない事情も分かる気がする。それが「声出し」だけでなく、言葉の一つ一つを高くして「立てる」表現するという重要な問題にまで気が回らなくなってしまう。それが、主人公の「喜助」が弟殺しを告白する超むずかしい場面だけでなく、全体に及んでしまっている。困ったものである。

 今年になって新たに入会した数人の会員は、入会時から「語りかける語り口」の基本が身についている。実は、それらの新規会員は、品川朗読サークル「あやの会」のベテラン会員が、品川ボランティアセンター主催の「ホット?サロン」の一環として、朗読を指導している。そこの教え子の何人かが、勇気を出して、品川朗読サークル「あやの会」に入会して来たのである。

 

 

|

« 館長の朗読日記2916/千葉「風」の朗読レッスン | トップページ | 館長の朗読日記2918/船橋「はなみずき」の朗読レッスン »

05館長の朗読日記(戦後78年/西暦2023年)」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 館長の朗読日記2916/千葉「風」の朗読レッスン | トップページ | 館長の朗読日記2918/船橋「はなみずき」の朗読レッスン »