館長の朗読日記3000/「溝口朗読サークル創立40周年記念朗読会」を聴きに行った
館長の朗読日記3000 (戦後79年/西暦2024年9月28日 新規)
○「溝口朗読サークル創立40周年記念朗読会」を聴きに行った(1)
先日の9月25日(水)に、山梨県甲府市の山梨県立文学館の講堂で「溝口朗読サークル創立40周年記念朗読会」が開催された。溝口直彦朗読サークルの創立者である溝口直彦先生が亡くなって久しいが、その後は私より数年後に入会した永田京子さんが中心となって、この溝口直彦朗読サークルを今まで支えてきたのである。
今年はその溝口直彦朗読サークルの創立からちょうど40年に当たるので、この「溝口朗読サークル創立40周年記念朗読会」が開催されることになった。私は、当時勤めていた会社から転勤を命じられ甲府市に赴任したが、入居した社宅が溝口先生の自宅(レッスン会場)に近かったため、たまたま朗読に巡り合ったのである。
それが契機となり、私は本格的に朗読研究を始めることになった。今回の「溝口朗読サークル創立40周年記念朗読会」に出演した皆さんの朗読はどれも素晴らしかった。尺八とチェロがバック音楽を入れていたが、それも素晴らしかった。舞台全体の構成と進行も素晴らしかった。私と家人は、深い感動と喜びと共に帰宅した。
○「溝口朗読サークル創立40周年記念朗読会」を聴きに行った(2)
その朗読会終了後の会場で、私は永田さんに溝口直彦先生のお嬢さんに紹介された。お名前は中込美代子さんである。紹介されたばかりであったが、帰宅する私と家人を甲府駅まで車で送って下さると言う。そこで大変有難く送っていただいた。甲府駅まで順調に来たのだが、甲府駅の下車&通路&駐車場で車が動かなくなった。
何しろ、甲府駅の下車&通路&駐車場であるから、次から次へと車がやって来る。動かなくなった車の右側は、後続車が辛うじてすり抜けられるだけの空間があった。私と家人は、急きょ、すり抜ける後続車の誘導係となってその誘導に専念せざるを得なくなった。運転者の中込美代子さんは、馴染みの車屋に助けの電話をした。
その車屋が来てくれるまで、私と家人は懸命に後続車の誘導を行なった。馴染みの車屋が来て、車が動けるようになると、ようやく心が落ち着いた中込美代子さんは、私と家人に対して盛んに恐縮していた。しかし、私と家人はこういうアクシデントを面白がるタイプである。今度の甲府行きの良い記念になった位に考えている。
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