05館長の朗読日記(戦後75年/西暦2020年)

館長の朗読日記2562/今年もついに大晦日となった

館長の朗読日記2562  (戦後75年12月31日 新規)

 


〇今年もついに大晦日となった(1)

 今年も12月12日(土)に実施した八千代朗読サークル「新・みちの会」のレッスンを最後に、年末始のレッスン休みに入った。今回のレッスン休みは、①溜まりに溜まっている書斎仕事、②書類その他の整理整頓、③アメリカ大統領選の推移追跡、に時間を使っている。もちろん、年賀状や正月飾りなどの年末仕事にも時間を使っている。

 ①の溜まりに溜まっている書斎仕事は、いずれも私の本来のライフワークであり、いずれも私にとっては大切なものである。ところがある論稿における言語論の部分で研究&執筆が長く停滞していた。それが、今年の11月末に一応完了した。そこで、この12月から、この①に本格的に取り組みだしたのである。頑張ってやるつもりである。

 ②の書類その他の整理整頓も、私の長い間の懸案事項であった。私は、この整理整頓が苦手である。当然、嫌いでもある。しかし、やらねばならない。そこで、毎日、約1時間と時間を限って取り組むことにした。ここ数ヶ月間それを継続した結果、やっと2階の旧書斎の整理整頓は目鼻がついてきた。今は、現書斎の整理整頓に移っている。

 


〇今年もついに大晦日となった(2)

 ③のアメリカ大統領選の推移追跡は、実に面白い。私の情報源は、もっぱら「You Tube」である。この問題について、アメリカの主要メディアはまったく当てにならない。まして、そのアメリカの主要メディアをなぞるだけの日本のマスコミは端から問題外である。この世紀の大事件を、同時代の人間として追跡できるのは本当にありがたい。

 ところが、最近、このアメリカ大統領選の不正問題が解明されていくにつれて、その内実が単に2人の大統領候補の争いではなく、アメリカ民主主義と政治的グローバリズムなどに大きくかかわる問題であることが露わになった。これは私の①の書斎仕事にも若干はかかわってくる。この年末始だけでなく、当面はこの推移から目が離せない。

 朗読に関しては、来年3月に開催を予定している第17回「小さな朗読館」に向けて、チラシづくりその他の準備を始めている。この「小さな朗読館」は、私も朗読するから、その台本の整備と練習もしなければならない。ただし、練習自体は年が明けてから取り組むつもりである。また、来年の朗読レッスンに向けた準備もおこなっている。

 


〇今年もついに大晦日となった(3)

 ともあれ、今年(戦後75年/西暦2020年)も今日が大晦日である。今年は武漢コロナウイルスにひっかき回された一年であった。この武漢コロナウイルスに関する報道においても、その元凶である中共の独裁政治に関する報道においても、上記のアメリカ大統領選に関する報道と同様、日本のマスコミの報道ぶりはひどいものであった。

 それに対して、われわれ日本人はこの武漢コロナウイルスに良く対応したと思う。多大な被害を受けた人は多かった。この武漢コロナウイルスに感染して、直接の被害を受けた人も少なくない。また、感染しないまでも、いろいろな被害を受けた人も多かった。かくいう私も、通常の朗読活動を阻害され、一定の直接被害を受けた一人である。

 このブログを読んでくださっている方々のうちにも、この武漢コロナウイルスに起因する軽重さまざまな被害を受けた方がいると思う。そういう方々には心からのお見舞いを申し上げる。この武漢コロナウイルスの現況は、今後も数年は続くと私は覚悟している。十分に用心はするものの過剰に恐れることなく、堂々と生活していきましょう。

 

 

 

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館長の朗読日記2561/年賀状を最寄りの郵便局に提出した

館長の朗読日記2561  (戦後75年12月22日 新規)

 


○年賀状を最寄りの郵便局に提出した(1)

 来年の元旦に配達されるように、昨日(12月21日)に書き終えた年賀状を最寄りの郵便局に行って窓口の職員に提出した。どうせ年賀状を郵送するなら、正月の元旦に配達されるように投函するというのが私のモットーである。最寄りの郵便局は自宅から歩いて数分で行ける近さにある。最寄りの郵便局が近いというのは便利である。

 私の年賀状は大まかに、朗読サークル会員宛、朗読を介して知り合った朗読関係者宛、その他の知人友人宛の3種類がある。その3種類とも、毎年のようにその枚数が減少している。朗読サークル会員宛の年賀状については、朗読サークルの数が少しづつ減ってきた。最多のときはたしか8サークルだったものが、今は5サークルである。

 朗読を介して知り合った朗読関係者宛の年賀状は、増える要素もあるが、減る要素もある。しかし近年は私の高齢化に伴って相手も高齢化するから、徐々に減る傾向にある。その他の知人友人宛の年賀状に関しては、ここ近年「年賀状を卒業する」という相手が目立つ。別に病気というわけでもない。どうも私の知人友人は怠け者が多い。

 


○年賀状を最寄りの郵便局に提出した(2)

 私は今後も年賀状を卒業する気はない。朗読サークル会員は別だが、朗読を介して知り合った朗読関係者やその他の知人友人宛には最近は滅多に会わない。書簡のやり取りもほとんどない。メールによる交信もほとんどないといってよい。暑中見舞いはこちらから出さなくなって久しい。年賀状は旧交を温める年に一度の機会なのである。

 そこで、今年最後の朗読レッスンであった八千代朗読サークル「新・みちの会」のレッスンが終わった12月12日(土)の夜から年賀状づくりに着手し、今日12月15日(火)の午後まで、約3日間かけて年賀状づくりを完了した。その後、さらに数日かけて誤りがないことをチェックし、月曜日になるのを待って投函したのである。

 年賀状は12月15日~12月25日に投函すれば、正月の元旦に配達されると聞いている。今回は余裕をもって12月21日に最寄りの郵便局の窓口に年賀状を提出した。これで何となく一仕事終えたようなスッキリとした気分になった。今年もあと残すところ十日。今朝は晴天にもかかわらず雪がハラリと降った。まさに年末である。

 

 

 

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館長の朗読日記2560/年賀状を書いた

館長の朗読日記2560  (戦後75年12月15日 新規)

 


○年賀状を書いた(1)

 毎年、この時期になると年賀状を書くことが一仕事になる。私の年賀状は大まかに3種類ある。①朗読サークル会員宛の年賀状。②朗読を介して知り合った朗読関係者宛の年賀状。③その他の知人友人宛の年賀状。近年は①が断トツに多く、②と③がほぼ同数で少ない。従来、①と②はパソコン印刷と手書きで、③はゴム版印刷と手書きで文面をつくった。

 今回から、①と②はすべてパソコン印刷で文面をつくることにした。手書きにすると、記録に残らないので困るからである。すべてパソコン印刷で文面をつくるといっても、内容の4分の3ほどは共通とし、残りは個々人それぞれの内容とする。この文面の内容と比率は、従来と同じである。早い話しが、手書きの部分をパソコン印刷に変えたわけである。

 今回は①と②の版下をつくることに時間と手間がかかった。宛先1人1人に1通づつパソコンで版下をつくるのだから、当然である。しかし、一旦つくった後は、印刷はプリンター任せだから楽であった。③はゴム版印刷にけっこう時間と手間がかかる。文面は短いがすべて手書きだから、これもけっこう時間と手間がかかる。どちらが大変ともいえない。

 


○年賀状を書いた(2)

 今回は、今年最後の朗読レッスンであった八千代朗読サークル「新・みちの会」のレッスンが終わった12月12日(土)の夜から年賀状づくりに着手し、今日12月15日(火)の午後まで、約3日間かけて年賀状づくりを完了した。意外に短時間で済んだように感じたが、実に寂しい話しだが、年年歳歳、年賀状の枚数が減っていることが主因である。

 長期の傾向として①のサークル会員の数は少しづつ減っている。また②の朗読関係者の中には、高齢化が進み年賀状から卒業すると宣告してくる場合もあれば、いつの間にか返事が来なくなる場合もある。この点は③のその他の知人友人の場合も同じである。現役時代の知人ばかりでなく、学生時代からの古い友人の中にも、年賀状卒業生は出てきている。

 私は、毎年、この時期になるとフウフウいいながらも、年賀状づくりを一種の楽しみにしている。私は、こういう手作業がどちらかというと好きなのであろう。また、通常ならば、会って話しをするでもなく、改めて手紙のやり取りをするでもない知人友人たちと、年に1度の年賀状を交換することは好ましい良い習慣だと思っている。末永く継続したい。

 

 

 

 

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館長の朗読日記2559/八千代「新・みちの会」の朗読レッスン

館長の朗読日記2559  (戦後75年12月13日 新規)

 


○八千代朗読サークル「新・みちの会」の朗読レッスン(1)

 昨日(12月12日)の13時30分から、八千代朗読サークル「新・みちの会」の朗読レッスンをおこなった。今回は第3期・朗読ステップ6の第5回目のレッスン、レッスン台本・森鴎外原作「冬の王」の第5回目のレッスンでもある。レッスン台本も第5回目ともなると、会員の皆さんはそれぞれのレベルでかなり仕上げてくる。

 会員の皆さんがそれぞれの朗読レベルで仕上げてくると、指導する側からするとかなり指導しやすくなる。仕上がった朗読というものは、会員それぞれの現時点における最高レベルの朗読表現になっているわけだから、その会員の上達過程の現時点における到達点(良い点と悪い点)がきわめてクリアな形で表出されていることになる。

 その会員の現時点におけるギリギリの良い点を的確に指摘し評価することができるし、また、その会員の現時点におけるギリギリの悪い点を的確に指摘し是正することができる。したがって、本当は、たくさん練習をして毎回のレッスン時に仕上げてきてくれると、毎回のレッスンごとに的確な指導ができ、上達もそれだけ迅速になる。

 


○八千代朗読サークル「新・みちの会」の朗読レッスン(2)

 これまで、私は、レッスン台本の朗読を指導する場合、言葉でその会員の朗読表現について、その良い点と悪い点を指摘したり、その理由と原因を解説したり、その点に関する私の考え方や理論を説明したりはしてきた。しかし、その会員の悪い点や良い点、あるいは、改善すべき点の見本を私が実演して見せることは極力控えてきた。

 私が山梨で朗読の指導を受けた先生は、言葉による指導も、見本を実演することによる指導も、ほとんどまったくしてくれなかった。その経験から、私は、言葉による指導はすべきだと考えたのである。しかし、見本を実演することによる指導は、私もやるべきではないと考えた。それは、暗々裏に安易な猿真似を強要するからである。

 しかし、この年末になって私の気が緩んだせいか、あるいは、気が短くなったせいか、先日の千葉「わかば」のレッスンと、昨日の八千代「新・みちの会」のレッスンにおいて、つい「語りかける語り口」における「読むような語り口」と「語りかける語り口」を実演してしまった。直後に内心「しまった」と思ったがすでに遅かった。

 

 

 

 

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館長の朗読日記2558/千葉「わかば」の朗読レッスン

館長の朗読日記2558   (戦後75年12月11日 新規)

 


○千葉朗読サークル「わかば」の朗読レッスン(1)

 昨日(12月10日)の13時30分から千葉朗読サークル「わかば」の朗読レッスンをおこなった。今回は第3期・朗読ステップ3の第14回目のレッスン、来年2月に上演するこのサークルの朗読会「小さな朗読館・ちば」に向けた第6回目のレッスンである。この朗読会「小さな朗読館・ちば」は、4人の出演者が1人1作品の形式で上演する。

 来年2月の「小さな朗読館・ちば」に向けたこのレッスンは、毎回、会員が自分で選んだ1作品を半分に分け、その前半と後半を交互にレッスンしている。前回は前半をやったので、今回は後半をレッスンした。毎回、作品の半分づつをレッスンするとはいえ、作品としては第6回目のレッスンであるから、会員の朗読表現はほとんど仕上がってきた。

 レッスン歴が1年未満の新規会員も、この会員なりに「語りかける語り口」と「心情&イメージ表現」をかなり仕上げてきた。この会員は、とても熱心で、かつ、呑み込みも早いので、レッスン歴が短い割にはレベルが高い。今回は最後の仕上げ段階として、言葉を重ねて使っているところを言語的かつ心情的にリズミカルに表現するように指導した。

 


○千葉朗読サークル「わかば」の朗読レッスン(2)

 レッスン歴の長い古参会員3人は、同じ作品のレッスンが6回目ともなると、当然、かなり仕上げてきた。古参会員の1人目は、芥川龍之介原作の、悪魔が煙草を日本に持ち込んで普及させようとする作品である。この作品を、軽いブラックユーモア的なスタイルで表現しようと、いろいろの試行を重ねてきたようである。その試行が大切なのである。

 古参会員の2人目は、江戸川乱歩原作の、椅子職人が自分のつくった椅子にもぐりこんで隠微な楽しみを経験する作品である。この作品は、さまざまな朗読スタイルが求められるだけでなく、さまざまな「視点の転換」において表現することが求められる。この「視点の転換」は、それを意識するだけでなく、それに基づく表現力がなければならない。

 古参会員の3人目は、幸田文原作の、江戸文化がまだ色濃く残っていた時代の若い女性と下駄職人の淡い交流を描いた作品である。セリフが少なく、ほとんどは淡々とした地の文からなっている。その地の文のなかに、原作者の視点と登場人物の視点が複雑に転換されている。こういう作品こそは、本当に聴き手に「語りかける語り口」が求められる。

 

 

 

 

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館長の朗読日記2557/千葉「風」の朗読レッスン

館長の朗読日記2557  (戦後75年12月07日 新規)

 


○千葉朗読サークル「風」の朗読レッスン(1)

 実は昨日(12月06日)に、その前日(12月05日)にやった千葉朗読サークル「風」の朗読レッスンのことをこのブログに書こうとした。そこで初めて、去る11月21日にやったレッスンについてブログに書いていないことに気づいた。そこで、今回は2回分のレッスンについてかかなければ、と思っているうちに失念してしまった。

 なにせ、アメリカにおける大統領選後の展開が真に凄まじいので、つい私の関心がそちらに向いてしまう。年齢を重ねてウッカリの度合いが増した割には、こういう生臭い政治闘争に対する好奇心は衰えない。その結果、翌日の今日(12月07日)になって、過去2回分の千葉朗読サークル「風」の朗読レッスンについて書く羽目になった。

 先月の第3土曜日(11月21日)の9時30分から、千葉朗読サークル「風」の第3期・朗読ステップ5の第2回目の朗読レッスンをおこなった。この回は新しいレッスン台本・岡本かの子原作「家霊」の第2回目でもある。その前は初読なので解説的なレッスンだった。この回からいよいよ会員1人1人の本格的な朗読レッスンに入った。

 


○千葉朗読サークル「風」の朗読レッスン(2)

 そして、一昨日(12月05日)の9時30分から、千葉朗読サークル「風」の第3期・朗読ステップ5の第3回目の朗読レッスンをおこなった。今回は新しいレッスン台本・岡本かの子原作「家霊」の第3回目でもある。今回も会員1人1人の本格的な朗読レッスンをおこなった。個々の会員の良くなった点や当面の課題について指導した。

 レッスン後に、来年の朗読発表会について相談した。主な議題は、朗読の上演形式(1人1作品形式か1作品の読み継ぎ形式か)と会場の選定であった。来年の朗読発表会の上演形式は1人1作品形式とすることになった。今年の朗読発表会は、本来は1人1作品形式でやるはずだったが、武漢コロナウイルスのためにそれができなくなった。

 したがって1人1作品形式のためのプログラムはひと通りできているので、来年はそれをやろうというわけである。来年の次の次の朗読発表会は、会員の一人が井伏鱒二原作『黒い雨』を台本化して、それを読み継ぎ形式で上演することになっている。来年の次の朗読発表会は事前準備を兼ねて、別の作品を読み継ぎ形式でやることになった。

 

 

 

 

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館長の朗読日記2556/船橋「はなみずき」の朗読レッスン

館長の朗読日記2556 (戦後75年/西暦2020年12月04日 新規)

 


○船橋朗読サークル「はなみずき」の朗読レッスン(1)

 昨日(12月03日)の15時00分から船橋朗読サークル「はなみずき」のレッスンをおこなった。今回は、第3期・朗読ステップ3の第12回目、来年4月21日(水)に開催を予定している朗読発表会『野菊の墓』に向けたレッスンの2回目である。この朗読発表会は2部構成の読み継ぎ形式で、途中の休憩を挟んで前半と後半に分けて上演する。

 レッスンも、台本「野菊の墓」を前半と後半に分け、レッスンごとに交代でレッスンしていく。今回は後半のレッスンをおこなった。前回の前半部分のレッスンでも同じことを感じたが、今回の後半部分のレッスンではさらにはっきりとこの作品の朗読表現はむずかしいと感じた。登場人物の造形、セリフ表現の多様性、地の文の複雑さなどなどである。

 サークルとしてこの作品を選んだ理由の一つは、作品世界の舞台が千葉県ということで馴染み深い点にあったときいている。しかし、多くの会員がなまじ土地勘があるだけに場面の位置づけが逆にむずかしい。かくいう私も市川の生まれ育ちであり、松戸や矢切や市川などの地名には一種の固定観念がある。その固定観念と作品世界の突合がむずかしい。

 


○船橋朗読サークル「はなみずき」の朗読レッスン(2)

 今回は、後半部分のレッスンの初回ということで、漢字の読み方や人物や地名などの固有名詞に関するイメージ合わせに主眼を置いた。しかし、次回以降は、朗読表現そのもののダメ出しに入っていく。今回も、後の方の会員には朗読表現のダメ出しを若干やったが、この作品の朗読表現は大変むずかしいと感じた。会員の皆さんの頑張りに期待したい。

 この台本「野菊の墓」は、完全ノーカットで、まったく原作のままである。伊藤左千夫のこの作品は有名であるが、有名であるために、かえって逆に、キチンと精読した人は少ないのではないだろうか。今回、改めて精読すると、この作品は大変に良い作品である。サークル会員の皆さんが本気になって朗読すれば、観客に深く感動してもらえると思う。

 最後に残念なことをお知らせしなければならない。先日のこのブログの「館長の朗読日記2551」でお知らせした今月12月25日に開催する予定であった第3回「朗読日和」は、武漢コロナウイルスの第3波を考慮して中止のやむなきにいたった。まことに残念ではあるが、このような事情では仕方がない。別途の開催に向け善後策を講じて欲しい。

 

 

 

 

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館長の朗読日記2555/品川「あやの会」の番外レッスン

館長の朗読日記2555  (戦後75年12月03日 新規)

 


〇品川朗読サークル「あやの会」の番外レッスン(1)

 一昨日(12月01日)の13時45分から品川朗読サークル「あやの会」の番外レッスンをおこなった。これは、このサークルが一般財団法人・社会保険協会の主催する生涯学習スクール「えびす大学」から朗読を依頼されたため、その準備の一環として実施されたものである。自主練習の途中でのチェックを、私が依頼されたわけである。

 予定では、来年の6月に、サークル全員を2つのグループに分け、それぞれのグループが向田邦子原作「父の詫び状」と菊池寛原作「仇討三態(その一)」を読み継ぎ形式で上演することになっている。今回はまず「父の詫び状」を読み継ぎ、私が講評した。まだ自主練習を始めて間がないようだったが、それでもかなり良い朗読をしていた。

 さらに良くするために、向田邦子らしい場面転換をさらに明確に意識して、より切れのある場面転換を朗読表現するように助言した。向田邦子はテレビドラマのライター出身であるから、この「父の詫び状」においてもテレビ画面をイメージして、鮮やかな場面づくりと場面転換を意識して表現しているので、朗読もそれに対応すべきである。

 


〇品川朗読サークル「あやの会」の番外レッスン(2)

 つぎに「仇討三態(その一)」を読み継ぎ、私が講評した。こちらもまだ自主練習を始めて間がないようだったが、それでもかなり良い朗読をしていた。しかし、こちらの作品は朗読がむずかしい。そのむずかしい分だけ聴いていた私には不満が残った。元武士である「惟念」が父親の敵討ちを断念して出家した内面の葛藤をどう表現するか。

 元武士である「惟念」の情念と、出家して過去の情念を捨てようとする現僧侶である「惟念」の内面の葛藤が、この作品世界全体を貫いている。逆に、作品全体に朗読的な聴かせどころ聴きどころが満載である。前の「父の詫び状」もそうだが、後の「仇討三態(その一)」においても、会員の皆さんの作品「解読」がまだまだ不足していた。

 朗読が未熟な段階では「語り口」や「声出し」が重要な比重を占める。しかし、品川「あやの会」の中心的会員は、すでにそういう段階ではない。今の段階で重要なのは「心情&イメージづくり」であり、その土台となるのは作品世界の「解読」である。私は、朗読の7~8割は「解読」で決まる、と思っている。頑張って欲しいものである。

 

 

 

 

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館長の朗読日記2554/品川「あやの会」の朗読レッスン

館長の朗読日記2554  (戦後75年12月02日 新規)

 


〇品川朗読サークル「あやの会」の朗読レッスン(1)

 昨日(12月01日)の9時50分から品川朗読サークル「あやの会」の朗読レッスンをおこなった。今回は、第3期・朗読ステップ3の第12回目、レッスン台本「或日の大石内蔵助」の第6回目のレッスンである。今回は、このレッスン台本「或日の大石内蔵助」の最後のレッスンで、その仕上げの通し読みをおこなう日である。

 いつものことでもあり、他のサークルでも同じであるが、この仕上げの通し読みの日は、サークルの皆さんも心得ていて、簡単なステージ(椅子を2つ並べたもの)と客席(朗読していない会員が座って聴く席)と、さらにその脇に講師席をも設定しくれる。さらに、通し読みのグループ分けと朗読順まで事前に決めておいてくれる。

 仕上げの通し読みをした後は、休憩を挟んで私が講評をする。正直言って、今回は、このサークルの皆さんは朗読のレベルを上げたと実感した。もちろん、会員の皆さんはそれぞれ別個の上達過程にあるから、レベルを上げたといっても、そのレベルには自ずから違いがある。しかし、それぞれのレベルにおいて確かに向上していた。

 


〇品川朗読サークル「あやの会」の朗読レッスン(2)

 レッスン歴の短い第3期生が朗読レベルを急速に上げていくのは、ある意味、当然である。また「語りかける語り口」が身についてきて、作品世界の解読にも慣れてきた第2期生が朗読レベルを力強く上げていくことも、ある意味、当然である。今回、私が意外に思ったのは、古参の第1期生が朗読レベルを質的に上げたことである。

 ある会員の朗読は、言葉の1つ1つが立ってきて表現が力強くなってきた。ある会員の朗読は、読み手の心情が確かな表現として表出されてきた。ある会員の朗読は、自分の言葉として「自然な語り口」で表現されてきた。ある会員は、あふれるばかりに表現したい心を抑えて、ほどよく心情表現することができるようになってきた。

 ある会員は、すでにかなりのレベルの朗読ができるようになっているが、さらに《間》と表現の立体的な組み合わせを意識した朗読表現に進化しかかっている。私の希望的な予測をすれば、それらの古参会員の朗読が、これから大きく進化していくその変わり具合を、同じサークルの他の会員たちは間近に目撃することになると思う。

 

 

 

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館長の朗読日記2553/八千代「新・みちの会」の朗読レッスン

館長の朗読日記2553  (戦後75年11月29日 新規)

 


○八千代朗読サークル「新・みちの会」の朗読レッスン(1)

 昨日(11月28日)の13時30分から、八千代朗読サークル「新・みちの会」の朗読レッスンをおこなった。今回は第3期・朗読ステップ6の第4回目のレッスン、新しいレッスン台本・森鴎外原作「冬の王」の第4回目のレッスンでもある。今回は、会員の皆さんがそれぞれ着実にレベルアップしている事実を確認することができた。

 主語や述語の部分が低いだけでなく、全体的に低い音域で朗読していた会員が、いつの間にか朗読の音域が広がって自然さが出てきた。朗読の「語り口」や「心情&イメージ表現」は良くなってきているのに、声が十分に前に出ていなかった数人の会員に、遠くの聴き手に届くように朗読するように指導したところ、たちまちに良くなった。

 かなり硬い「語り口」「声出し」だった会員が、ある時点からかなり急速に柔らかく自然な朗読に進化してきた。このサークルは、休会中の会員2人を除き、レッスンに参加している会員は10人である。会員数が10人を超すくらいになると、だいたい毎回そのように目立って進化する会員が何人か出てくる。それが何よりの参考になる。

 


○八千代朗読サークル「新・みちの会」の朗読レッスン(2)

 私がある点についてコメントしたところ、前回は違うことを言ったという指摘を受けた。遺憾ながら前回自分がどのようなコメントをしたか覚えていなかった私は、私と年齢が違わないその会員の記憶力にいささか驚いた。ところがその会員の種明かしによると、レッスンをすべて録音しておき、自宅でジックリ聴き直すということだった。

 前のレッスンで指導したことがなかなか直らなかった別の会員が、その会員が使っていた録音機をさっそく自分も買って自宅で復習すると言い出した。このように、他の会員のやっている事例を参考にしてさっそく自分も実行することは大切である。朗読レッスンだけでなく、そういう相互啓発をすることもグループレッスンの良さである。

 今回は、レッスン台本「冬の王」に出てくる小説名や作家名について、ある会員が自分の調べてきたことをとても丁寧かつ詳細に説明してくれた。普段は控え目なその会員が、今回は珍しく積極的に発言したので、私や他の会員たちは驚くと共に非常に嬉しい気持ちでその会員の説明を拝聴した。こういう相互啓発も私は大いに歓迎である。

 

 

 

 

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