05館長の朗読日記(戦後78年/西暦2023年)

長の朗読日記2922/千葉「風」の朗読レッスン

長の朗読日記2922  (戦後78年12月28日 新規)

 


○千葉朗読サークル「風」の朗読レッスン(1)

 先日の12月16日(土)に、千葉朗読サークル「風」の朗読レッスンをおこなった。今回は、第4期・朗読ステップ2の第3回、レッスン台本・太宰治原作「雪の夜の話」の第3回である。太宰治の作品は、ダラダラとおしゃべりしている感じの文体で表現されていることが多い。すなわち、一つ一つの文がかなり長くなっている。

 そのため、文の途中で何度か朗読を区切らなければならないことになる。朗読を区切る場合は二通りある。一つは、文の途中で意味の流れが途切れ別のことを表現し出すため、その途切れるところで《間》を取る場合である。二つは、言葉の意味は続いているのに、途中で区切って息を継がないと朗読を続けられない場合である。

 一つ目の、意味の流れが途切れて《間》を取る場合は、その《間》の前後の表現の仕方と《間》の時間の組み合わせがむずかしい。二つ目の、意味は続いているのに息を継ぐために途中で区切る場合は、息を継ぐ前後の文をつなげるように朗読表現することがむずかしい。特に二つ目の区切りは「語りかける語り口」のポイントである。

 


○千葉朗読サークル「風」の朗読レッスン(2)

 現在やっている太宰治原作「雪の夜の話」は、そういう二通り区切り方を実習するための絶好の教材である。こういうことは、私自身が近年になって気づいたことである。その意味では、改まってふり返ってみると、私の朗読指導も徐々に進化しているようである。その結果、サークル会員の朗読はもちろん、私自身の朗読も進化している。

 私の朗読指導は、朗読ステップ1~6を辿るという基軸的なラインに沿っておこなっている。しかし、その内容は常に真剣勝負的にその場その場の観察(会員の朗読を聴くこと)と考察(会員の朗読を聴いて指導することを考えること)を繰り返している。そのために、指導内容が少しづつ変化している部分がかなり多いと思われる。

 しかし、その反面、基本的な部分は変わらずに一貫しているところも多いはずである。そういうところは、サークル会員が出来るようになるまで同じことを繰り返し指導することになる。あまり同じことを繰り返し指導していると、自分の認知症を懸念しなければならないような気になる。私に、あまり同じ指導をくり返させないようにして欲しい。

 

 

 

| | コメント (0)

館長の朗読日記2921/千葉「わかば」の朗読レッスン

館長の朗読日記2921  (戦後78年12月18日 新規)

 


○千葉朗読サークル「わかば」の朗読レッスン(1)

 先日(12月14日)の13時30分から、千葉朗読サークル「わかば」の朗読レッスンをおこなった。今回は第3期・朗読ステップ6の第17回。このサークルは、現在、来年2月26日(月)に千葉市民会館・小ホールで開催する朗読発表会『少年と犬』に向けた朗読レッスンをおこなっている。今回は、その第6回の朗読レッスンである。台本は馳星周原作『少年と犬』である。

 正直なところを言えば、私はこの『少年と犬』という作品をあまり高く評価していない。ストーリーも不自然だし、描写も荒っぽい。しかし、読み継ぎ形式の朗読として千葉朗読サークル「わかば」の朗読発表会で上演するからには、それなりのものに仕上げなければならない。特に、今回は通常型レッスンの最後であるからなお更である。次回は立ち稽古、次々回はリハーサル、そして本番となる。

 この台本を朗読する千葉朗読サークル「わかば」のこれまでの出来栄えも、その原作と同じようなものであった。そこで、今回は、ストーリーの不自然さや、描写の荒っぽさはともかくとして、読み継ぎ形式の朗読作品としては立派に仕上げなければならないということで、改めて登場人物のセリフとその前後でセリフを補足する原作者による地の文の関係を説明し、心情とイメージを解説していった。

 


○千葉朗読サークル「わかば」の朗読レッスン(2)

 その改めての解説に触発されたように、サークル会員の朗読にそれ以前とは見違えるように心情とイメージが籠められてきた。その結果であろうか、仲間の朗読を聴いて涙が出てきたという。いささか遅きに失している、という気もしないではないが、まだ通常型レッスンの最後の段階であり、まだ今後に立ち稽古とリハーサルが控えている。まだまだ仕上げていくチャンスはある、と考えるべきであろう。

 この千葉朗読サークル「わかば」は、朗読発表会におけるバック音楽とバック照明を毎回自立的におこなっている。そのため、私は、朗読発表会の本番当日は、客席の最後列に座って、観客の一人として朗読を聴いていれば良いことになる。そして、サークル会員の朗読やその他気のついたことについてメモをし、終演後の会場で締めの会をする際に、そのメモに基づいてコメントをするわけである。

 このように、観客の立場で朗読サークルの朗読発表会を聴くチャンスはなかなか無い。しかも、このときに気がついたいろいろなことは、他の朗読サークルの朗読発表会に役立つことも多い。そういう意味で、この千葉朗読サークル「わかば」の朗読発表会は、私にいろいろと貴重な情報をもたらしてくれるのである。特に今回の朗読発表会は3部構成であるから、また新たな気づきがあると思う。

 

 

| | コメント (1)

館長の朗読日記2920/品川「あやの会」の朗読レッスン

館長の朗読日記2920  (戦後78年12月13日 新規)

 


〇品川朗読サークル「あやの会」の朗読レッスン(1)

 昨日の12月12(火)の13時00分から品川朗読サークル「あやの会」の朗読レッスンをおこなった。今回は第3期・朗読ステップ6の第11回、レッスン台本・森鴎外原作『高瀬舟』の第6回のレッスンである。今回は、このむずかしいレッスン台本・森鴎外原作『高瀬舟』の最後のレッスンであり、その仕上げの通し読みをおこなう日であった。

 この『高瀬舟』は6つのパートに分けてレッスンした。仕上げの通し読みも、その6パートのそれぞれをサークル会員に割り当て、6人1組で読み継いでもらった。このサークルは14人いるが、今回は2人が休会した。参加者12人を6人づつ分けたら、ちょうど2グループになった。その2グループの読み継ぎの終了後に休憩をとり、その後私が講評した。

 私の講評は1人1人の朗読の良い部分(良くなった部分)と不十分な部分(要改善部分)の指摘のバランスを取るように努めている。しかし、サークル会員の朗読のレベルの向上を図ろうと思うと、どうしても不十分な部分(要改善部分)の指摘の方に重点がいってしまう。時間的・分量的なバランスは取れても、心情や内容は片寄ってしまう。

 


〇品川朗読サークル「あやの会」の朗読レッスン(2)

 それに加えて、今回の講評の対象とするのはもっとも朗読的なポイントが多く、朗読表現がきわめてむずかしい森鴎外原作『高瀬舟』の朗読である。そのため、会員の皆さんの朗読を聴いていると、どうしても不十分な部分(要改善部分)の方が多いため、ついついそちらに耳がいってしまう。私の講評のバランスが崩れてしまうのも無理はないであろう。

 そのような次第で今回の私の講評のバランスはかなり崩れてしまったかも知れない。しかし、そのような講評をしながら、片方ではこのサークルの会員の皆さんの朗読レベルがかなり上がったとも思っていた。ベテランの中には、超一流と言って良い会員も数人はいる。新規に入会してきた会員も、かなりレベルが高くて「語りかける語り口」の基本ができている。

 レッスン期間が中位の会員も、それぞれ着実に朗読レベルを上げている。最後に、来年5月に読む継ぎ形式で上演する予定の朗読発表会『いのちの停車場』(南杏子原作)の朗読分担を発表した。このサークルは、いつもバック音楽を家人がピアノ演奏で入れることになっているので、その準備も早めに始めなければならない。いろいろ大変なのである。

 

 

 

 

 

| | コメント (0)

館長の朗読日記2919/八千代「新・みちの会」の朗読レッスン

館長の朗読日記2919  (戦後78年12月11日 新規)

 

 

○八千代朗読サークル「新・みちの会」の朗読レッスン(1)

 一昨日(12月09日)の13時00分から、八千代朗読サークル「新・みちの会」の朗読レッスンをおこなった。今回は、第4期・朗読ステップ3の第5回であり、レッスン台本・太宰治原作『黄金風景』の第5回でもある。今回も、会員個々の朗読に対する指導をおこなった。今回は、この八千代朗読サークル「新・みちの会」の今年最後の朗読レッスンである。

 今回は、昨月11月28日(火)に私が主宰した第25回「小さな朗読館」開催後の、この八千代朗読サークル「新・みちの会」としての最初の朗読レッスンだったので、来場者、会場運営支援者二人、ゲスト出演者二人にお礼を言った。私が主宰する「小さな朗読館」を何とか開催できるのも、来場者、会場運営支援者、ゲスト出演者の協力あればこそである。

 この太宰治原作『黄金風景』のレッスンは、今回が第5回ということで、年が明けた新年の最初の朗読レッスンが『黄金風景』の仕上げの通し読みということになる。したがって、この年末始のレッスン休みの間に、この『黄金風景』をどのくらい自宅練習したかで仕上げの通し読みの出来不出来が決まってくる。大変なタイミングで年末始のレッスン休みになったものである。

 


○八千代朗読サークル「新・みちの会」の朗読レッスン(2)

 この『黄金風景』は短いから、仕上げの通し読みは3つのパートに分けて3人のサークル会員に読み継いでもらうことになる。この八千代朗読サークル「新・みちの会」のサークル会員の会員数は10数名であるから、仕上げの通し読みは4回ほどくり返すことになる。同じ作品の朗読を4回もくり返して聴くとそれぞれの良し悪しがより鮮明になる。これはある意味、厳しい。

 この作品の3つのパートをサークル会員のどの3人がグループになって読み継ぐか、そのグループ分けはサークルの自主性に任せている。このサークルは新年1月の第2土曜日にサークルとして自主的な全体会議を持つ。そこで来秋9月に開催する朗読発表会の原作を相談するという。その他、この『黄金風景』の仕上げの通し読みのグループ分けもおこなうということである。

 今回は、来年の3月30日(土)にこのサークルが自主的に開催する第5回「ちっちゃな朗読会」の出演者の変更が報告された。第5回「ちっちゃな朗読会」の出演者は5人ということであった。このサークルは、長い作品を読み継ぎ形式でおこなう朗読発表会を補足する意味で、会員が一人一作品形式でおこなう「ちっちゃな朗読会」を年2回開催しているのである。

 

 

 

| | コメント (0)

館長の朗読日記2917/品川「あやの会」の朗読レッスン

館長の朗読日記2917  (戦後78年12月06日 新規)

 


〇品川朗読サークル「あやの会」の朗読レッスン(1)

 昨日の12月05(火)の9時50分から品川朗読サークル「あやの会」の朗読レッスンをおこなった。今回は第3期・朗読ステップ6の第10回、レッスン台本・森鴎外原作「高瀬舟」の第5回のレッスンである。前回も記したが、この「高瀬舟」は朗読的に大変むずかしい作品だから、この作品を朗読するサークル会員の朗読的実力がはっきりと露出してくる。

 このサークルのベテラン会員の何人かが、朗読表現的にはかなりのレベルに達してきた。そのためかどうか分からないが、声出しがおとなしくなってしまった。否、おとなしくなったというよりも、舞台の上から観客に語りかける声の距離感と広がりが少なくなってしまった、といった方が良いかもしれない。この「高瀬舟」のむずかしさに用心して、慎重な朗読になったのであろう。

 朗読表現の基本は「声出し」である。ただし、この場合の「声出し」は、通常の朗読指導者がレッスンで好んでやる「発声練習」とはまったく異なる。私は、朗読のためにはいわゆる「発声練習」は無意味だと思っている。従って、私の朗読レッスンではそういう「発声練習」を一切やらない。私の言う「声出し」は台本に則した心情とイメージの籠った声を出すことである。

 


〇品川朗読サークル「あやの会」の朗読レッスン(2)

 私のいう「声出し」は大声を出すことではない。音量の問題ならば、私の指導&演出する朗読会、あるいは、私が主宰する朗読会は、会場の大きさに応じて必要ならばマイクを使から、音量そのものはいくらでも補強できる。それより、観客に語りかける声の距離感と広がりと、台本に則した心情とイメージの籠り方の方が重要である。これはマイクでは補強できない。

 ベテランの会員がこの「高瀬舟」の朗読に慎重になり、なかなか「声出し」の方まで気が回らない事情も分かる気がする。それが「声出し」だけでなく、言葉の一つ一つを高くして「立てる」表現するという重要な問題にまで気が回らなくなってしまう。それが、主人公の「喜助」が弟殺しを告白する超むずかしい場面だけでなく、全体に及んでしまっている。困ったものである。

 今年になって新たに入会した数人の会員は、入会時から「語りかける語り口」の基本が身についている。実は、それらの新規会員は、品川朗読サークル「あやの会」のベテラン会員が、品川ボランティアセンター主催の「ホット?サロン」の一環として、朗読を指導している。そこの教え子の何人かが、勇気を出して、品川朗読サークル「あやの会」に入会して来たのである。

 

 

| | コメント (0)

館長の朗読日記2916/千葉「風」の朗読レッスン

館長の朗読日記2916  (戦後78年12月04日 新規)

 


○千葉朗読サークル「風」の朗読レッスン(1)

 先日の12月02日(土)に、千葉朗読サークル「風」の朗読レッスンをおこなった。今回は、先月の11月28日(火)に開催した第25回「小さな朗読館」後の初めてのレッスンであるから、当日の来場者と会場運営支援者2人、そしてゲスト出演者にお礼を言った。ゲスト出演者の朗読については講評しないことにしている。

 前回から、第4期・朗読ステップ2に突入している。今回はその第2回、新しいレッスン台本・太宰治原作「雪の夜の話」の第2回である。この「雪の夜の話」は内容的にはどうということはないので、若い女学生になったつもりで思い切って語って欲しいと注文した。会員の皆さんは、若い頃を思い出して徐々に語り出して来たようである。

 しかし、頭と心でそのつもりになっても、実際の朗読が当人の頭と心のように表現してくれているか、というと必ずしもそうはいかない。しかし、それでも、この千葉朗読サークル「風」は女性の会員ばかりだから、かなりそれらしくなってきている。それが、他のサークルの男性会員が、この「雪の夜の話」を朗読する場合はかなり苦労すると思った。

 


○千葉朗読サークル「風」の朗読レッスン(2)

 朗読は、若い女学生が語るように男性会員がどんなに上手く「雪の夜の話」を表現したにせよ、聴き手はその「雪の夜の話」を朗読しているのが男性であることなど百も承知である。それにも関わらず、その「雪の夜の話」を語っている人間が若い女学生であることを聴き手にイメージさせなければならない。そこに朗読表現のむずかしさがある。

 もちろん、中高年の女性が朗読で、若い女学生のセリフを表現する場合でも、似たようなむずかしさはある。しかし、逆に、朗読においては、聴き手の頭と心に文学作品の作品世界をイメージしてもらえば良いという点で、逆にそのむずかしさを克服する術がある。また、そういう点にこそ朗読表現の面白さ、あるいは、醍醐味があるのである。

 この「雪の夜の話」というレッスン台本を朗読することによって、サークル会員の皆さんにそういう朗読のむずかしさ、および、面白さと醍醐味を思い切り味わってもらえれば良いと思う。私は、そのようなサークル会員の皆さんが味わう朗読のむずかしさ、および、面白さと醍醐味に対し、真剣勝負的なレッスンで正面から付き合っているのである。

 

 

 

| | コメント (0)

館長の朗読日記2915/第25回「小さな朗読館」を開催した

館長の朗読日記2915  (戦後78年11月29日 新規)

 


○第25回「小さな朗読館」を開催した(1)

 昨日(11月28日)の13時30分開演で、第25回「小さな朗読館」を開催した。会場はいつもの船橋市民文化創造館(きららホール)である。今回は、約3年におよんだ武漢コロナウイルス感染の影響がようやく弱まって、この「小さな朗読館」の来場者数も元の水準にもどってきたようである。もちろん、完全にもどったわけではないが。

 今回の来場者数は、販売&寄贈したチケット数や受付で配布した資料数から推計して100人前後であった。これは前回の第24回とほぼ同数であり、それ以前の第23回(約65人)や第22回(約70人)に比べれば格段に多くなった。他の各種のイベントも、同じように武漢コロナウイルス感染の悪影響が減ったことを祈っている。

 今回のチケット総発行数は102枚であった。その内訳は、無料招待券3枚、有料チケット99枚であった。有料チケットの内訳は、サークル会員直売チケット53枚、電話予約チケット28枚、当日販売チケット18枚であった。今回は「地域新聞」の「イベント情報」欄に掲載されなかった。しかし、その割にはチケット予約申込みが多かった。

 


○第25回「小さな朗読館」を開催した(2)

 我が「小さな朗読館」の収入源はチケット収入だけである。昨年来、会計収支の損益分岐点は有料チケット販売数が約100枚となっていた。数年前までは約85枚だった。その後は会場の使用料金の値上がりなど経費がかなり増加したため、損益分岐点が約100枚の水準まで急上昇していた。今回は、さらに少し上昇したようである。

 そのため、有料チケットが99枚であった今回は、若干の赤字になった。結局、第17回以降の「小さな朗読館」は、第20回以外はすべて赤字ということになった。結局、武漢コロナウイルス後に開催した「小さな朗読館」は1回を除き全て赤字ということになる。武漢コロナウイルス前の累積黒字のお陰で、累積黒字を保持している状態である。

 今回もゲスト出演者の所属サークルから会場運営の支援者を4人お願いした。支援者には熱心かつ積極的に協力してもらった。司会進行役の飯野由貴子さんには、今回もいつも通りの素晴らしい司会をしていただいた。宣伝用チラシのデザイン&発注は今回も小田志津子さんにお願いした。今回も、家人の強力なサポートに大いに助けられた。 

 


○第25回「小さな朗読館」を開催した(3)

 きららホールのスタッフの皆さんも、いつも通り非常に協力的で、今回も大変お世話になった。最後に、今回の4人のゲスト出演者に感謝したい。ゲスト出演者の4人は、それぞれの最高の朗読をしていた。観客の反応も大変良かった。これはレッスンではないから私は講評の類は一切しない。したがって、観客の反応が唯一かつ最高の講評である。

 ちなみに、ゲスト出演者の朗読は下記の通りであった。布施明原作「この手のひらほどの倖せ」、太宰治原作「リイズ」、江戸川乱歩原作「接吻」、菊池寛原作「藤十郎の恋」。それぞれの朗読作品は、基本的にゲスト出演者自身が選定したものである。私は芥川龍之介原作「点鬼簿」の朗読と、その前置きとして簡単で短いトークをつけた。

 今回も、池田憲昭さんとそのボランティアの支援者が、池田憲昭さんのイラストによる絵葉書とカレンダーを会場ロビーで展示&販売してくれた。お陰で会場ロビーがとても華やかになった。池田さんは自分のイラストが少しでも多くの人の眼に触れて楽しんでもらえるのは嬉しいと言ってくれる。今回も販売を手伝ってくれた4人に大変感謝している。

 


○第25回「小さな朗読館」を開催した(4)

 今回も、きららホール側からは、ロビーでの終演後の歓談自粛の要請は特になかった。ゲスト出演者も私も、終演後の会場ロビーで来場者の皆さんと歓談することを楽しみにしている。来場者の皆さんも、その点は同じだと思う。来場者の皆さんも、ゲスト出演者と支援者も、マスクをしてお互いに用心しながら、皆とても楽しそうに歓談していた。

 今回は、終演後の消毒作業などは必要ないとのことであった。来場者が会場ロビーを去ると、会場運営の支援者4人と私と家人は、舞台の撤去作業を始めた。その他にも、平場に増設したパイプ椅子の片づけ、受付や絵葉書やカレンダーの展示&販売の後片付けなどをした。総てを終えた後に、控室で、簡単な締めの解散式をおこなった。

 それから、きららホールの受付で最後の支払いを済ませ、控室の整理と後片付けを行ない、持参の荷物類のバッグ等への詰め込みを行ない、きららホールの会場スタッフの皆さんに最後のお礼と挨拶を行なって、帰途につく。時刻は、たいてい、会場使用の下限時刻の17時ギリギリになる。乗り込む電車は必ず座れる各駅停車を選定した。

 

 

 

| | コメント (0)

館長の朗読日記2914/八千代「新・みちの会」の朗読レッスン

館長の朗読日記2914  (戦後78年11月26日 新規)

 

 

○八千代朗読サークル「新・みちの会」の朗読レッスン(1)

 昨日(11月25日)の13時00分から、八千代朗読サークル「新・みちの会」の朗読レッスンをおこなった。今回は、第4期・朗読ステップ3の第4回であり、レッスン台本・太宰治原作『黄金風景』の第4回でもある。今回も、会員個々の朗読に対する指導をおこなったが、そういう指導中に『黄金風景』の細かな作品解説をも少しづつおこなった。

 太宰治の作品は、その文章の流れが基本的に太宰治のセリフのようになっている。特に、一つの文がダラダラと長く続く表現になっている。文の末尾は一応「である」調の《書き言葉》になっている。しかし、文の流れや内容は明らかに《話し言葉》的になっている。そういう文章を自然な「語りかける語り口」で朗読表現することが朗読者の腕の見せ所なのである。

 今回の朗読レッスンの場で議論になったのは、主要な登場人物である「お慶」が主人公である太宰治の分身について「あのかたは、お小さいときからひとり変って居られた。目下のものにもそれは親切に、目をかけて下すった」を高く評価しているが、この作品中に「目下のものにもそれは親切に、目をかけて下すった」という具体的な内容が記されていない点である。

 


○八千代朗読サークル「新・みちの会」の朗読レッスン(2)

 こういう議論というものは、数学や物理の問題と違って、唯一無二の正解などというものはない。放っておくと議論が平行線でいつまでも続いて切りがない。残念ながら、途中で、結論の出ないままに中断するしかなかった。しかし、朗読レッスンでこういう議論が起こったことは、大変に好ましい現象である。私は常々「異論、反論、別論」は大歓迎と宣言している。

 朗読レッスンの場で、私が一方的に話すだけで、サークル会員は黙ったまま何の「異論、反論、別論」も出ないというのは最も好ましくない現象である。私の話しを、サークル会員が理解できたのか、納得できたのかが分からないままに、朗読レッスンだけが先に進んで行ってしまうのでは仕方がない。会員の皆さんはドシドシ「異論、反論、別論」を出すべきである。

 そういう意味で、今回の朗読レッスンは良かったと思う。来週の第25回「小さな朗読館」に、ゲスト出演者の知人友人で車椅子を使用している方が来場されるということが分かった。私が主宰する「小さな朗読館」では、車椅子の使用者とそれを押す人は無料ということにさせてもらっている。今回は、すでにチケットを購入済みということなので、そのままになった。

 

 

| | コメント (0)

館長の朗読日記2913/千葉「わかば」の朗読レッスン

館長の朗読日記2913  (戦後78年11月24日 新規)

 


○千葉朗読サークル「わかば」の朗読レッスン(1)

 先日(11月23日)の13時30分から、千葉朗読サークル「わかば」の朗読レッスンをおこなった。今回は第3期・朗読ステップ6の第16回。このサークルは、現在、来年2月26日(月)に千葉市民会館・小ホールで開催する朗読発表会『少年と犬』に向かた朗読レッスンをおこなっている。今回は、その第5回の朗読レッスンである。台本は馳星周原作『少年と犬』である。

 このサークルは、会員数が7人と少ないので台本『少年と犬』を3部構成とし、各部を全会員7人で読み継ぐことにしている。すなわち、サークル会員の皆さんはこの台本『少年と犬』をそれぞれ3回づつ朗読することになる。このサークルは、会員数は少ないが、朗読レッスンを長く続けている会員の比率が高い。すなわち、ベテランの会員の比率が高いので、平均的なレベルは高いのである。

 そういうサークル会員がこの『少年と犬』という台本を3ヶ所も朗読すれば、原作者である馳星周の文体、文章の展開の仕方、書かれている内容なども分かってくる。その朗読レッスンが5回目ともなれば、それらがより一層分かってくる。その結果、自分たちで選んだ原作にもかかわらず、いろいろと欠点が眼についてくる。すると今度は、その欠点を自分たちの朗読でカバーする気になってくる。

 


○千葉朗読サークル「わかば」の朗読レッスン(2)

 そういうサークル会員の気持ちの変化を、朗読レッスンをしているとかなり鮮明に感じ取ることができる。そして、そういうことも真剣勝負的な私の朗読レッスンの醍醐味なのである。少なくとも私はそういう醍醐味を楽しく味わっている。しかも、このサークルは自立心がかなり強く、数年前からバック音楽もバック照明も自分たちで構想し実施するようになっている。その分、私の負担は少なくて済む。

 朗読発表会に向けた集客にも意欲的である。今回、宣伝用チラシを作成し、そのチラシを来週の第25回「小さな朗読館」の受付で来場者に配布するよう依頼された。来週の「小さな朗読館」の受付で、第25回のプログラム替わりのチラシと次回第26回の宣伝用チラシと組み合わせて、この千葉朗読サークル「わかば」の朗読発表会『少年と犬』の宣伝用チラシを配布することにした。

 各朗読サークルの朗読発表会は、朗読レッスンの節目の場でもあり、日頃の朗読レッスンの成果を一般の観客に披露する場でもあり、また、他の朗読サークルの会員の皆さんとの交流(相互啓発+相互親睦)の場でもある。したがって、台本『少年と犬』の朗読を仕上げるだけでなく、一般観客の集客にも力を注ぎ、かつ、他の朗読サークルへの働き掛けにも力を注いで欲しいと思っている。

 

| | コメント (0)

館長の朗読日記2912/品川「あやの会」の朗読レッスン

館長の朗読日記2912  (戦後78年11月23日 新規)

 


〇品川朗読サークル「あやの会」の朗読レッスン(1)

 一昨日の11月21(火)の9時50分から品川朗読サークル「あやの会」の朗読レッスンをおこなった。今回は第3期・朗読ステップ6の第9回、レッスン台本・森鴎外原作「高瀬舟」の第4回のレッスンである。前回も記したが、この「高瀬舟」は朗読的に大変むずかしい作品だから、この作品を朗読するサークル会員の朗読的実力がよく分かる。

 朗読ステッ1~6を初めてたどっているサークル会員、すなわち、朗読ステッ1~6の第1期目のサークル会員は、私の提唱する「語りかける語り口」の基本を修得することが主眼である。朗読ステッ1~6が第2期目以降のサークル会員は、私の提唱する「語りかける語り口」の基本を修得できていても、その大部分は心では台本を読んでしまっている。

 私は、この「語りかける語り口」の基本を修得する段階が第1段階、同じく「語りかける語り口」の基本を修得できても心では台本を読んでしまっている段階を第2段階と呼んでいる。そして、私が提唱する「語りかける語り口」で心から台本を語って朗読表現できるようになった段階が最後の第3段階であり、この段階の朗読は超一流の朗読レベルとなる。

 


〇品川朗読サークル「あやの会」の朗読レッスン(2)

 この第3段階に到達したサークル会員は、私が指導している5つの朗読サークルの中で何人かいるが、この品川朗読サークル「あやの会」にも何人かが誕生しつつある。しかし、この第3段階に到達すると、その人間が朗読台本である文学作品の作品世界をどのようにイメージしているかがすべて朗読のなかに表現されてくる。実は、これが大変なのである。

 朗読する人間が、朗読台本である文学作品をどのようなレベルで、どのような方法で、どのような内容で、解読しているかが、すべて露わになってしまう。このことは、逆に、朗読台本である文学作品の解読を通して、解読している人間の内面がすべて露わになってしまうことにつながっている。超一流の朗読は、朗読者の総てを表現することにつながっている。

 したがって、このことは、逆に、自分のすべてを表現することを躊躇する人間、自分の総てを表現することを嫌がる人間は、自分の総てを表現することに自信が持てない人間は、超一流の朗読ができないという結論にむすびついていく。これは、必ずしも朗読に限ったことではない。すべての芸術において、その芸術に携わる人間には同じことが言えると思う。

 

 

| | コメント (0)

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

00特別なお知らせ 01最新の朗読イベント情報(朗読会などのご案内) 02過去の朗読イベント記録(朗読会などの記録) 03「日本朗読館」開館のご挨拶 04「日本朗読館」創設の趣旨 05館長の朗読日記(戦後62年/西暦2007年) 05館長の朗読日記(戦後63年/西暦2008年) 05館長の朗読日記(戦後64年/西暦2009年) 05館長の朗読日記(戦後65年/西暦2010年) 05館長の朗読日記(戦後66年/西暦2011年) 05館長の朗読日記(戦後67年/西暦2012年) 05館長の朗読日記(戦後68年/西暦2013年) 05館長の朗読日記(戦後69年/西暦2014年) 05館長の朗読日記(戦後70年/西暦2015年) 05館長の朗読日記(戦後71年/西暦2016年) 05館長の朗読日記(戦後72年/西暦2017年) 05館長の朗読日記(戦後73年/西暦2018年) 05館長の朗読日記(戦後74年/西暦2019年) 05館長の朗読日記(戦後75年/西暦2020年) 05館長の朗読日記(戦後76年/西暦2021年) 05館長の朗読日記(戦後77年/西暦2022年) 05館長の朗読日記(戦後78年/西暦2023年) 05館長の朗読日記(戦後79年/西暦2024年) 05館長の朗読日記(戦後80年/西暦2025年) 06館長の朗読指導メモ 07館長の朗読エッセイ 08館長の「朗読の理論」 10紹介された記事 11「日本朗読館」の朗読活動メニュー 12「日本朗読館」への連絡方法 13館長の指導する朗読サークル 14館長に寄せられた感想・意見 15館長の朗読プロフィール 16館長の朗読レパートリー 17このブログの管理・運営について