04「日本朗読館」創設の趣旨

04『日本朗読館』創設の趣旨 1

『感動をつくる・日本朗読館』創設の趣旨
                    戦後62年8月06日(月)
                館長 東 百道(ひがし・ももじ)

 私が、どのような問題意識をもって、何をめざして、この『感動をつくる・日本朗読館』を創設したのか、すなわち『感動をつくる・日本朗読館』創設の趣旨、といったものを、ここで明らかにしておきたいと思います。

【現在の朗読ブームの背景と朗読の本質的な意義】
○現在、朗読は静かなブームだと言われています。私は、これは、日本の社会がかなり高度に成熟化しつつあることの一つの現われだと思っています。つまり、日本人の間に、ボランティア的な社会活動や芸術文化的な創造活動を主体的に行ないたい、という欲求が広範に湧き上がってきている事実、そういう歴史的・社会的な事情がこの朗読ブームの背後にあると思うのです。朗読は、視覚障害者や幼児や高齢者などのために、もっとも手軽に貢献できるボランティア手段だと見なされています。また、朗読は、年齢や体力や経済力や先天的才能などの制約からもっとも自由な、誰にでも気軽に取り組める表現芸術だと見なされています。したがって、なるべく少ない負担で、何らかの社会貢献的な活動、あるいは、芸術文化的な創造活動に参加したいと思う人には、まさにピッタリのものに見えるのだと思われます。
○また同時に、社会がかなり高度に成熟化しつつある段階では、自国の文化全般を大切なものとして見直す風潮も広範に盛り上がってきます。文化全般のもっとも基本にあるものは、一人一人の人間の認識能力と表現能力です。そして、この人間の認識能力と表現能力のもっとも中心にあるものは、言うまでもなく、言語的な認識能力と表現能力であるわけです。近年、日本においては、この言語的な認識能力と表現能力の著しいレベル低下や拙劣化、つまり、日本語能力のレベル低下・拙劣化が深刻な問題として懸念されはじめています。そして、その原因を抜本的に解明し、これを本格的に回復・向上させなければいけない、という危機感が社会全体に広まってきています。こういう問題意識や危機意識も、現在の朗読ブームの歴史的な背景になっているのではないかと思われます。
○なぜならば、朗読ほど、言語的な認識能力と表現能力に直に、深く、高く、広く、豊かに、そして本質的にかかわっている表現芸術は他にないからです。朗読は、一見すると、ただ文学作品を声に出して読むだけのもの、と思われがちです。しかし、本当は、文字言語で表現された文学作品の内容を直に、深く、高く、広く、豊かに、そして本質的に認識する能力と、また、それを音声言語で直に、深く、高く、広く、豊かに、そして本質的に表現する能力が要求される表現芸術であるわけです。つまり、朗読が本当に上達するためには、言語的な認識能力と表現能力そのものを直に、深く、高く、広く、豊かに、そして本質的に身につけなければならないわけです。

【朗読および朗読指導の現状と問題点】
○しかし、このような現在の朗読ブームに対して、朗読を指導する側の対応は必ずしも十分とは言えません。
○たとえば、現時点で日本人の言語教育の中心となっているのは、やはり、小学校、中学校、高等学校での教育だと思われますが、これらの学校教育のカリキュラムには、言語的な認識能力と表現能力を正面から本格的に高めるための内容が決定的に不足しています。当然、言語的な認識能力と表現能力を正面から本格的に指導することのできる教師は、決して多くは存在していないのです。まして、朗読の指導が本当にできる教師にいたっては、微々たるものにすぎません。
○朗読指導者は、現在は、ほとんどが在野の人間です。しかも、その大部分は、もともと放送アナウンサーや演劇俳優や声優やナレーターであった方々なのです。しかし、そういう方々のほとんどは朗読そのものを本格的に修練してはいません。まして「朗読の理論」や「朗読の指導法」を理論的に研究してはいません。ほとんどが、放送アナウンサーや演劇俳優や声優やナレーターといった、かつての自分の専門分野の延長として、ただ経験的に朗読を指導しているにすぎないのです。つまり、本格的な「朗読の実技」の修練もなく、確たる「朗読の理論」や「朗読の指導法」の研鑽もないままに、かつて自分が習い覚えた放送アナウンサーや演劇俳優や声優やナレーターのための練習メニューを、そのまま機械的に取り入れて、朗読を指導している場合が多いわけです。
○ここでは敢えて説明しませんが、朗読は、放送アナウンスや演劇やアニメ・洋画用アテレコやナレーションなどとは、本質的に異なる表現芸術です。もちろん、音声言語的な表現という意味では共通する部分も多くあります。しかし、肝心要の朗読の核心部分においては、本質的にまったく異なる表現芸術であるのです。
○したがって、この本質的に異なる点を無視したり、軽視したままで、どんなに朗読レッスンを重ねても、朗読の本当の上達は望めません。現に、5年~10年と朗読を習っている方々の多くが、壁に突き当たって伸び悩んでいたり、誤った朗読表現や低いレベルの朗読表現の中に安住していたり、あるいは、そういう朗読表現の底の浅さに嫌気や限界を感じて朗読から離れていったりしています。
○このままだと、せっかくの朗読ブームも一時的なものに終わってしまう恐れがあります。そして、なまじ朗読ブームが起こってしまっただけに、その後に来る反動も深刻なものになってしまう危険さえあるわけです。私は、今の朗読指導のあり方、朗読表現のあり方に深刻な危機意識をもたざるを得なかったのです。

【『感動をつくる・日本朗読館』がめざすもの】
○そういう強い深刻な危機意識の下に、2003年の夏頃から、私は私なりの「朗読の指導法」に基づいた朗読指導を始めたわけです。私が指導している朗読サークルには、まったくの初心者から10年以上の朗読経験者まで、実にさまざまな方々が入会しています。幸いなことに、私の朗読指導はそれらの方々の多くに歓迎され、喜んでいただいているようです。そして、何より私が嬉しいのは、皆さんが朗読そのものの素晴らしさと楽しさを心から実感しつつ、それぞれの入会当初のレベルから目に見えて上達していることです。
○戦後61年03月31日(西暦2006年03月31日)をもって、私はこれまで生業としてきた会社勤務から解放されました。それを機に心機一転し、新たな気持ちで本格的な朗読活動に取り組んでいこうと、この『感動をつくる・日本朗読館』を創設することを決意したわけです。
○この『感動をつくる・日本朗読館』をひとつの拠りどころとして、私なりの「朗読の実技」「朗読の理論」「朗読の指導法」の内容をより多くの方々に知っていただき、
①朗読(特にステージ朗読)という一個の独立した表現芸術ジャンルを日本人総体の主体的な芸術創造活動の一環として普及・定着させ、
②私なりの朗読活動を通して日本人総体の言語的な認識能力と表現能力の本格的な向上に寄与し、
③日本の芸術と文化の一層の深化向上のために幾分なりとも寄与したい、
と考えているわけです。
○以上、私が『感動をつくる・日本朗読館』を創設した趣旨を申し述べました。私の意のあるところを、よろしくお汲みとりいただければ幸いです。

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