06館長の朗読指導メモ

館長の朗読指導メモ 95/小林大輔さんのブログへのコメントに対するコメント

館長の朗読指導メモ 95   (戦後72年07月29日)



小林大輔さんのブログへのコメントに対するコメント


【館長の事前コメント】

 数年前、小林大輔さんが、私の主宰する「東百道・講演と朗読の会」を数回聴きに来たことがある。当時は、そのたびに、自身のブログ『小林大輔のほのぼの朗読』に記事を書き、高く評価してくれた面もあったが、見当違いの批判をしてくれた面もあった。その1つが「朗読に最も必要なもの」(2013年6月29日)である。

 その記事に対して、直後にいくつかのコメントが投稿された。記事で名指しで批判された私も、一応のコメントを投稿した。しかし、その私のコメントに対して、小林大輔さんからは全く何の応答もなかった。自身のブログに一方的な批判を記した記事を載せ、それに対する反批判に全く応じないのは、真面目な批判とはいえない。

 そこで、それ以降は、私はこのブログの内容を真面目には読まなくなった。最近、私(東百道)と朗読をキーワードにしてネットを検索していたら、たまたまこの記事に再会した。久しぶりに覗いてみたら、今年の2月に3年ぶりのコメントが投稿されていた。その内容がなかなか鋭かったので、私も久しぶりにコメントしてみた。

 他人のブログに投稿したコメントなどは、相手の都合でいつ削除されるか分からない。また、私がどのようなコメントをしたか、私のブログをご覧の方々にもお知らせしたい。そこで、同じものをここに掲示することにした。ついでに、以前にこの記事に投稿されていたすべてのコメントを、ここにまとめて再掲することにした。


○コメント7:タイトル「改めてのコメント」

〔タミヤさんへ〕
 久しぶりにこの記事を覗いて、新たに投稿されている「タミヤ」さんのコメントを見つけました。なかなか鋭い内容で、とても面白く読みました。この記事は、私に対する小林大輔さんなりの真面目な批判であると当初は受けとめましたので、私も私のブログ「感動をつくる・日本朗読館」で真面目に正面から反批判しました。その私の反批判もぜひ読んでみてください。どちらの批判が正当か、いずれ歴史が審判を下してくれるでしょう。

〔難波鷹史さんへ〕
 ついでに。
 私は「ネットで朗読音声を公開すること」それ自体を「拒絶」した覚えはありませんよ。
 私はすでに自分の公演ライブ盤ををDVDおよびブルーレイにして(有料)公開しています。
 その関係で、当面、ネットで(無料)公開することを控えているだけです。いずれ折りをみて、ネットでも(無料)公開するつもりです。

 あなたと渡辺知明さんの関係は知りませんが、この一連の経緯は、私とネットでやり合った渡辺智明さんはよく知っているはずです。
 もし難波鷹史さんが本当に「ぜひ、東さんの朗読を聴いてみたい」と思っているのなら、公演ライブ盤「『東百道・講演と朗読の会』朗読とはなにか〜朗読の基本から実技の上達まで〜」を購入して聴いてみてください。全国の書店ないしはネット書店で注文できます。その他にも、私は4種の公演ライブ盤を(有料)公開しています。そのどれからでも、私の朗読を聴くことができます。

 ところで難波鷹史さんは、たとえば、音楽演奏家が自分の公演ライブをCDにして(有料)公開している最中に、その音楽演奏家がネットで自分の音楽演奏を(無料)公開することを「拒絶」する意味が分かりますか? もし、それが分からないのであれば、そういう難波鷹史さんの考え方こそ「意味」がわからないと言われるでしょう。まして、ネットでそういうことを公言する難波鷹史さんの「真意」がわからないと言われるでしょう。

2017.07.27 10:54 | URL | 「感動をつくる・日本朗読館」館長



○コメント6:タイトル「タイトル」

 他者への攻撃さえしなければ、素晴らしい先生なんだけどなぁ。
 一通り、ブログは読ませていただきましたが、極端に攻撃的な文があるかと思えば、人格者の一面も見せてくれますね。でも、他者に攻撃しているときは誤解や、思い込みからみたいだから、先に相手とコミュニケーションを取ってからにしてはどうかと思う。「ほのぼの朗読」なんてタイトルなんだから、攻撃的に書いた文章は消せばどうですか。元フジテレビアナウンサーなんて肩書を出しているんだから、弱い者いじめしてるのと同じだよ。そういう自覚は持たないと。少なくとも、フジサンケイグループの肩書を出して戦うにはどれも相手が弱すぎるんだから。

2017.02.09 18:28 | URL | タミヤ



○コメント5:タイトル「『小林大輔さんの感想と意見について』のご案内」

小林大輔様

東百道です。

 この約1年間のうちに3回も私の「講演と朗読の会」に来ていただいて感謝しています。またその度にそれに関する記事を書いて掲載して下さっていることにも感謝しています。過分に褒めて下さっている部分もあれば辛辣に批判して下さっているところもあります。それらの小林大輔さんの感想と意見について私にも色々と異論のあるところもあります。

 今後そのいくつかを私のブログの記事にして載せていきますのでご案内します。小林大輔さんのお名前を出して直接に私の異論を記していくのは次の記事です。

ブログ「感動をつくる・日本朗読館」/カテゴリー「館長の朗読指導メモ」欄
「小林大輔さんの感想と意見について〜〜朗読イベントのお客様には色々のタイプがある〜〜」

 また小林大輔さんが私の「講演と朗読の会」に関連して提起されたいくつかの課題について、別に個別に私のカテゴリー「館長の朗読指導メモ」欄に書き込んでいきたいと考えています。

 すでにこれまでに書き込んだ記事もありますのでついでにご案内します。
「館長の朗読指導メモ」47〜48「朗読発表会のあり方について」
「館長の朗読指導メモ」51〜53「『余技』とはなにか」

また今後も時間を見つけながら書いていこうと考えている課題は次のとおりです。
「朗読における『直感』について」「朗読における『声出し』について」「朗読における《間》について」他

2014.01.13 13:08 | URL | 「感動をつくる・日本朗読館」館長



○コメント4:タイトル「芸能人と呼ばれる人」

 声優さんの朗読は聴いたことありますが、どうもやっつけで録音している感があって、今ひとつという印象があります。
 僕もそんなに数多く聴いていないので実際には分りませんが、ナレーションとセリフを別に行うアニメや海外ドラマの吹き替えでは、作品をトータルで一人で演出しなければならない「朗読」とは、勝手が違うのかもしれません。

 また、声の演技が得意でない役者さんの場合でも、声優をすると棒読みということが多々あります。

 つまり僕も芸能人と呼ばれる方々の朗読が微妙という印象があります。でも、なぜか昔の役者さんは朗読も声だけの演技も、すばらしかったりするんですよね。

2013.08.19 18:19 | URL | 難波鷹史



○コメント3:タイトル「難波鷹史様」

 コメントありがとうございました。

 私が芸能人を観察して来た永い経験から言っても、論理先行の人に、人を感動させる芸を持っていたケースを見たことがないのです。

 論理を組み立てることが巧みな人と、感動する芸を披露する人。
 これは、別人と思わざるを得ません。

 あなたとゆっくりお話ししたいものです。

2013.08.10 09:36 | URL | 小林大輔



○コメント2:タイトル「フェイスブックから来ました」

 方法論も大事ではあるけど、「絶対必要条件ではない」っていう意見に同意します。

 直感というとこれまた論理的には得たいが知れないんですが、確かに自分の直感にて、これのほうが聞こえが良いとか、ビジュアルを思い浮かべることが容易であるとか、なにより聞いてて面白いとか、表現の仕方を調整して完成させていきます。

 もともとセンスがなかったりする人は直感には頼れませんから、論理から入るかもしれませんし、センスがある人は自分の直感がどう正しいか確認したり調整したりする助けにはなるでしょう。

 それで、論理を大きくぶちまけたとしても、実際のよみの評価が伴わないんであれば、論理の証明にはなりません。
 ぜひ、東さんの朗読を聴いてみたいものです。

 東さんがネットで朗読音声を公開することを、拒絶する意味が分りません。

2013.08.07 13:03 | URL | 難波鷹史



○コメント1:タイトル「朗読の理論と実践との間」

 感想を読ませていただきました。わたしも同じように感じました。

「東百道氏の講演と朗読を聴いた。作品を作者の言葉と解釈して、黙読でのイメージを朗読に直結させる理論だ。作者の伝記からの作品解釈に重点がある。実際の朗読にも理論に欠ける点がそのまま出た。問題点を列挙する。姿勢、発声、アクセント、イントネーション、プロミネンス、語り構造、語り口と感情」(Twitter2013/06/30)

2013.06.30 08:00 | URL | 渡辺知明






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館長の朗読指導メモ 94/朗読活動のこれからの10年間の自己展望(その3/最終回)

館長の朗読指導メモ 94   (戦後72年07月22日)



朗読活動のこれからの10年間の自己展望(その3/最終回)



○第2次「朗読活動10年期」の自己展望(7)

 最後に「③朗読実技の公演」について。この分野の主軸は、私が主宰している朗読会「小さな朗読館〜感動をつくる朗読をめざして〜」の年3回の定期公演である。この朗読会は、私が毎回レギュラー出演している。毎回、短編を単発に朗読するというだけというのも面白くないので、毎年1人の作家の作品を3作選んで朗読している。

 「小さな朗読館〜感動をつくる朗読をめざして〜」は、私が毎回レギュラー出演しているから確かに「③朗読実技の公演」の分野ではある。しかし、私が指導している朗読サークルから、朗読レッスン歴と朗読レベルがある一定の水準に達した会員に、毎回ゲスト出演を依頼しているから、その意味で「②朗読指導の実践」の分野でもある。

 私が指導している朗読サークルの会員も、この朗読公演にゲスト出演することを励みにしているとみえ、このゲスト出演を機に朗読が画然とレベルアップする例が少なくない。朗読サークルの会員が着実に上達していくので、ゲスト出演を依頼すべき水準の会員数が増えている。今後はゲスト出演依頼の順番を決めることがむずかしくなる。



○第2次「朗読活動10年期」の自己展望(8)

 私が朗読に本格的にとり組むようになったそもそもの動機は、朗読というものを理論的に解明したい、というところにあった。したがって、私の朗読活動の重点は、どうしても「①朗読理論の研究」と「②朗読指導の実践」に傾きがちになる。私の「③朗読実技の公演」は、どうしても①と②に関する自己検証という意味合いが濃くなる。

 この点から考えて、同じ「③朗読実技の公演」の分野でも「東百道・講演と朗読の会」のような公演の方が望ましい。しかし、その「東百道・講演と朗読の会」は昨年を最後にしばらく中断することにした。理由は、これを続けていると本来の「①朗読理論の研究」に割く時間がなくなってしまうからだ。その意味で中断は不本意であった。

 現在、単行本として出版を計画している『朗読の上達法』『芥川龍之介の文学的軌跡』『太宰治の文学的航跡』『宮澤賢治の宗教と文学』の原稿執筆が完了した暁には、それぞれの内容に基づいた「東百道・講演と朗読の会」を再開したいと考えている。特に、芥川龍之介シリーズと太宰治シリーズはライブの録音録画を総て完結させたい。



○第2次「朗読活動10年期」の自己展望(9)

 私の「③朗読実技の公演」は、①と②に関する自己検証という意味合いが大きいとはいえ、もちろん決してそれが主目的ではない。主目的は、観客の皆さんと朗読者の私が朗読を介して精神的な交流を図ることである。さらに端的に言うと、朗読を介して文学作品に表現されている作品世界のイメージと心情と感動を共有することである。

 さらに、朗読の実演を通して、私が提唱する「感動をつくる朗読」のレベルを向上させ、その意義と内容を実技を世に広め、日本の朗読文化の向上に寄与することを目指している。しかし、私の場合は、残念なことに、私自身の朗読を公演のライブで広く聴いていただく機会は限られている。また、それに割くべき私の時間もあまりない。

 この「東百道・講演と朗読の会」の場合は、録音録画してDVDやBDのライブ盤として発行している。しかし、書店を通しての販売もあまり多くは望めない。そこで今後は、タイミングをみて、それをYou Tubuに投稿し、無料公開することも視野に入れている。さらに、長編の文学作品の朗読を録音録画して同じように公開することも。



○第2次「朗読活動10年期」の自己展望(10)

 以上、現在構想しているところの、これからの第2次「朗読活動10年期」の自己展望を簡単にまとめてみた。私の朗読活動(①朗読理論の研究、②朗読指導の実践、③朗読実技の公演)が、今後どこまで歩んでいけるかは分からない。しかし、今後とも、私の半生業&半ライフワークとして、孜々として励んでいく決意に変わりはない。

 その目標は、私なりの朗読活動によって、私が提唱する「感動をつくる朗読」を普及し、日本の朗読文化の向上&深化にいくらかでも寄与したい、という点にある。さらに、日本の朗読文化の向上&深化を介して、日本人全体の日本語の認識(読む&聴く)力と表現(書く&語る)力の向上&深化に寄与すること、これを目指している。

 目標は大きい方が良い。目標は高い方が良い。目標は深い方が良い。目標は豊かな方が良い。たとえ大風呂敷だとみなされても良いではないか。たとえドン・キホーテのように笑われても良いではないか。自らの体力・気力・知力が尽きる日まで、たとえその歩みは遅くとも、孜々として励みつづけることに意義がある、と確信している。





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館長の朗読指導メモ 93/朗読活動のこれからの10年間の自己展望(その2)

館長の朗読指導メモ 93   (戦後71年11月23日)



朗読活動のこれからの10年間の自己展望(その2)



○第2次「朗読活動10年期」の自己展望(4)

 次に「②朗読指導の実践」について。この分野の主軸は、やはり、私自身が立ち上げた朗読サークルの朗読指導であるべきだと考える。このうち、先を行く2つの朗読サークルは、すでに第3期目の朗読ステップ1〜6の段階に入っている。後続の4つの朗読サークルも、数年後には第3期目の朗読ステップ1〜6の段階に入っていく。

 このまま順調に進めば、第2次「朗読活動10年期」の期間中に、第4期目あるいは第5期目に突入していくことになる。そうなると、それぞれの朗読サークル内に1期生〜5期生が混在することも考えられる。レッスン歴が永くなれば、会員が一流の朗読家あるいは一流の朗読指導者の実力をつけている場合が十分に考えられる。

 朗読サークルの平均的な実力が上がってくれば、特に、会員の何人かが一流の朗読家あるいは一流の朗読指導者の実力をつけてくれば、私がいつまでも一方的な指導をする必要もなくなる。朗読サークルは、朗読レッスンの場というよりも、共同の朗読研究の場という方向に質的に転換していくと思う。勉強から研究への進化である。



○第2次「朗読活動10年期」の自己展望(5)

 もちろん、朗読サークルには、常に新規入会者が参加して来る。新規入会者は、朗読の初心者はもちろん、朗読の経験者でも、初めの数年間は指導が必要である。しかし、朗読サークルの平均的な実力が上がってくれば、先輩会員たちによる集団指導が可能になる。私という個人の指導から、会員同士の相互的指導への転換である。

 そうなった場合、私のやるべきことは何であろうか。私は、大学院における指導教官のようなあり方をイメージしている。会員たちは、それぞれが1人前ないしは半人前の朗読者である。私は、そういう会員たちの朗読のゼミナール的な共同研究の指導者であり、演出家であり、相談役といったような存在になることをイメージしている。

 サークル会員は、一方で私が指導する朗読サークルで共同研究を続けながら、他方では1人前の朗読者・朗読指導者として、独自の朗読会を主催したり、独自の朗読サークルで朗読指導したりするのも良い。私としては私が指導する朗読サークルにいつまでも所属していて欲しいが、1人前になった会員の自立も支援しようと思っている。



○第2次「朗読活動10年期」の自己展望(6)

 私の朗読指導の主な目的の1つは、次代の自立的な朗読者および朗読指導者の育成である。私が提唱する「感動をつくる朗読」を実演&普及できる自立的な朗読者、および、朗読指導のできる自立的な朗読指導者の育成である。私が指導する朗読サークルから株分けのように次代、次々代の朗読サークルが派生していくことが望ましい。

 私自身が立ち上げた朗読サークルの朗読指導の他に、私が提唱する「感動をつくる朗読」を指導&普及する方法も、第2次「朗読活動10年期」では積極的に企画&実行していくつもりである。朗読入門講座や朗読基礎講座などの朗読全体に関する基本講座もよいが、文学作品の朗読的な解読を中心とした講座などもやってみたいと思う。

 朗読はそこそこ上手なのだが、語り口や文学作品の的確な解読に基づいた朗読という点ではもの足りない朗読者や朗読グループも散見すされる。そういう朗読者や朗読グループに、朗読の演出をやるのも良い仕事だと思う。ただし、これは押しかけでやるわけにはいかない。依頼をただ待っているのではなく、何か良い方策はないものか。

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館長の朗読指導メモ 92/朗読活動のこれからの10年間の自己展望(その1)

館長の朗読指導メモ 92   (戦後71年11月09日)



朗読活動のこれからの10年間の自己展望(その1)



○第2次「朗読活動10年期」の自己展望(1)

 戦後71年(西暦2016年)の4月から、私の本格的な朗読活動は2回目の10年に突入した。この朗読活動の2回目の10年を、第2次「朗読活動10年期」と呼ぶことにする。この第2次「朗読活動10年期」くらいは何とか頑張れると思うので、どのような朗読活動をするべきかを考案・構想し、その自己展望をまとめておく。

 私の朗読活動は、次の3つに分類することができる。それは、①朗読理論の研究、②朗読指導の実践、③朗読実技の公演、という3つの分野である。もちろん、私の場合には、この3つの分野は互いに不可欠な存在である。そのどの分野を欠いても、日本の朗読文化のレベルアップに寄与したいという私の目標を果たすことは出来ない。

 第2次「朗読活動10年期」において、私がもっとも重点を置くべき分野は「①朗読理論の研究」であると考えている。また、その直接の応用分野として「②朗読指導の実践」にも力を注いでいきたいと考えている。そして「③朗読実技の公演」は、ここ数年で軌道に乗せてきた年3回の定期公演「小さな朗読館」を中心としていく。



○第2次「朗読活動10年期」の自己展望(2)

 まず「①朗読理論の研究」について。私がもっとも重要視しているのは、前著『朗読の理論』の姉妹編として構想している『朗読の上達法』である。しかし、この2著『朗読の理論』『朗読の上達法』は、本格的な研究書、理論書を目指している。従って、表現と内容が必ずしも平易とはならない。まして、朗読の入門書などではない。

 そこで、木鶏社からは、2著『朗読の理論』『朗読の上達法』の内容を融合させ、その基本的部分を平易な表現で執筆した、朗読の入門書の発行を提案されている。これは、きわめて魅力的な提案である。書名は『朗読とはなにか〜感動をつくる朗読入門〜』にしようかなどと、思い入ればかりが先に行っている。この3著が軸となる。

 また「朗読のための文学作品論」シリーズとして、既刊の『宮澤賢治の視点と心象』に続けて、今後は『芥川龍之介の文学的軌跡』『太宰治の文学的航跡』『宮澤賢治の宗教と文学』『宮澤賢治「銀河鉄道の夜」の解読』の原稿を執筆し、単行本として上梓したい。そして可能なら、夏目漱石や樋口一葉の文学作品にも論及してみたい。



○第2次「朗読活動10年期」の自己展望(3)

過去の第1次「朗読活動10年期」には、エポックメイキングな出来事がいくつかあったが、その一1つは私が小学館(担当編集者・高島雅氏と漫画家・片山ユキヲ氏)から朗読漫画『花もて語れ』への朗読協力&朗読原案を依頼されたことであろう。朗読漫画『花もて語れ』の朗読に関する部分は『朗読の理論』を土台にしている。

 この朗読漫画『花もて語れ』は、レベルの高い一部の漫画マニアから熱烈に支持された。また、小中学校の国語関係の教師の一部から大いに注目された。そして、朗読関係者の一部からも朗読の基本を深く描いたものとして参考にされている。ただし、朗読漫画『花もて語れ』の朗読部分には、不十分な点や誤解されやすい点もある。

 他方、私は、この朗読漫画『花もて語れ』を、拙著『朗読の理論』の良き副読本として、極めて高く評価し、ありがたく思っている。そこで、第2次「朗読活動10年期」の仕事の1つとして、今後、私のブログで「朗読漫画『花もて語れ』こぼれ話」(仮題)を連載し、不十分な点や誤解されやすい点を補正していこうと考えている。







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館長の朗読指導メモ 90/朗読活動のこれまでの10年間の自己検証(その6)

館長の朗読指導メモ 90   (戦後71年08月25日)



朗読活動のこれまでの10年間の自己検証(その6)



○第1次「朗読活動10年期」の自己検証(14)

 この「小さな朗読館〜感動をつくる朗読をめざして〜」は、すでに6回の公演実績を積んでおり、今秋10月26日には第7回の公演を行なう予定である。この朗読会は営利を目的としたものではない。入場のチケット代は千円であるが、これは入場者にも公演実経費をある程度は負担してもらうためである。私は完全な手弁当である。

 幸い、これまでの入場者数は概ね百人を超えている。私と家人の人件費(私の出演料を含む)を除いた実経費だけ見ると、一応、収支は黒字を維持している。この黒字分は積み立てておき、公演のための運転資金にしたり、将来的には外部のゲストを招聘する資金にしたり、あるいは、音楽演奏とのコラボ用の資金にしていく計画である。

 昨年まで8回にわたり上演した「東百道・講演と朗読の会」の方も、一応、収支は黒字であった。ただし、こちらも公演の実経費だけをみた場合である。近年は公演を録音録画してDVDあるいはBDとして出版&販売しているが、こちらの実経費を含めると全体の収支は大赤字である。この赤字分は、当面は解消されそうもない。



○第1次「朗読活動10年期」の自己検証(15)

 その「東百道・講演と朗読の会」も、今年から当面は休止することにした。しかし、芥川龍之介と太宰治と宮澤賢治についての「朗読のための文学作品論」シリーズを単行本として上梓し終えた後は、この「東百道・講演と朗読の会」を再開するつもりである。少数ではあるが、この公演を評価してくださった観客もいたからである。

 また、年3回定期公演中の「小さな朗読館〜感動をつくる朗読をめざして〜」の方も、ほんの少しづつではあるが常連客が着実に増えてきている。今後も、レギュラー出演の私は修練を重ねて行くが、ゲスト出演の朗読サークルの会員たちも着実に上達していく。この朗読会のレベルは、少しづつだが着実にレベルが上がっていくと思う。

 また、将来的には、全国各地で朗読活動を展開している朗読者あるいは朗読グループと、朗読的交流を推進していきたいと考えている。残念ながら、これまでの第1次「朗読活動10年期」においては、それら全国各地の朗読者との朗読的交流は、少数の例外を除いて、ほとんど何もできなかった。これなども今後の課題の1つであろう。






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館長の朗読指導メモ 89/朗読活動のこれまでの10年間の自己検証(その5)

館長の朗読指導メモ 89   (戦後71年067月16日)



朗読活動のこれまでの10年間の自己検証(その5)



○第1次「朗読活動10年期」の自己検証(12)

 最後に、㈫朗読の実演的な活動のこの10年間を自己検証してみよう。㈫朗読の実演的な活動も、当然、㈰朗読の理論的な活動を土台にしているし、また、㈪朗読の指導的な活動とも深く関係している。すなわち、㈰㈪㈫は互いに密接に関連しているのである。さて、私の㈫朗読の実演的な活動は大部分が私の主宰するものである。

 ただし、私が指導する朗読サークルの会員の有志が実行委員会形式で、私を主演者とする定期的な朗読会を主催してくれた「東百道の朗読館」(戦後63年〜戦後67年に5回開催)のような例もある。何人かで朗読会を共催した「小さな朗読会・和」(戦後58年〜59年)や「小さな朗読館・山桜」(戦後63年)の例もある。

 山梨の永田さん主導の「講演と朗読の会」、ソルシエール主催の朗読会、「富里市立七栄小学校を会場とする富里市教育研究会・公開研究会」の記念講演「朗読のための文学作品の解読法〜斎藤隆介「花咲き山」を事例として〜」、朗読の会・くれまちす主催の「東百道・講演と朗読の会〜感動をつくる朗読をめざして〜」の例も。



○第1次「朗読活動10年期」の自己検証(13)

 しかし、私がもっとも主体的に力を注いだのは、毎年の年末に主宰した「東百道。講演と朗読の会」である。この「東百道。講演と朗読の会」は、宮澤賢治を2回、芥川龍之介を4回、太宰治を2回を順に取り上げ、戦後70年(西暦2015年)の第8回を最後に休止した。当面、㈰朗読の理論的な活動に力を注ぐためである。

 私は「小さな朗読館〜感動をつくる朗読をめざして〜」という朗読会を、戦後69年(西暦2014年)から主宰している。この「小さな朗読館〜感動をつくる朗読をめざして〜」は、年3回の定期公演である。毎回、私がレギュラーで出演し、私が朗読指導している朗読サークルの会員の何人かにゲストで出演を依頼している。

 この「小さな朗読館〜感動をつくる朗読をめざして〜」は、私自身の朗読実演の修行の場であり、また、私が朗読指導し一定の朗読レベルに達した人たちの朗読発表の晴れ舞台であり、さらには、一般の人たちに生の朗読(特に私の朗読理論を体現すべき「感動をつくる朗読」)を身近に鑑賞評価してもらう成果公開の場でもある。

 



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館長の朗読指導メモ 88/朗読活動のこれまでの10年間の自己検証(その4)

館長の朗読指導メモ 88   (戦後71年06月16日)
 
 
朗読活動のこれまでの10年間の自己検証(その4)
 
○第1次「朗読活動10年期」の自己検証(10)
 
 私が定期的&体系的に指導している朗読サークルの元会員あるいは現会員の有志が、自立的に結成した朗読グループもいくつかできた。それらの朗読グループは、元のサークルからいわば株分けしてできたようなものである。それらの朗読グループと私の関係をどのように考え、今後どのように保っていくかも、要検討課題である。
 
 私が朗読指導している朗読サークルは、今後、続々と第3期目に突入していく。いずれ、第4期目にも突入していくであろう。その過程で、朗読者として、あるいは朗読指導者として自立していく会員も出てくると思う。それらの会員と、今後どのような関係を保っていくか。それも、いずれ重要な要検討課題になることであろう。
 
 クラシック音楽や日本の古典芸能など歴史ある芸術芸能の世界では、師匠と弟子、そのまた弟子との関係に関しては、一定の習慣、ルール、礼儀、エチケットなどといったものが出来上っている。朗読の世界は、まだ歴史も浅く、マイナーでもあるので、当人たちの良識に任せたままである。私なりのものを造っていく必要がある。
 
 
○第1次「朗読活動10年期」の自己検証(11)
 
 私の「朗読活動10年期」において、特に私が朗読サークルの指導を始めてからのこの12年間において、朗読サークルを退会していった会員は、おそらく200人を超しているのではないか。本人や家族が体調を崩したり、または、職場や居住地が変わったため、朗読サークルを心ならずも退会していった会員が多かったと思う。
 
 しかし、私の朗読論や指導に違和感や不満をもち、離れていった会員もいたと思う。朗読レッスンやサークル活動も人間関係の一種であるから、私や他のサークル会員との人間関係に何らかの齟齬が生じ、居ずらくなって去って行った会員もいたと思う。中には、私をただ利用するだけの目的で入退会していった会員もいたと思う。
 
 私のもっとも心残りなのは、私の言動が、私自身が気づかないままに相手の心を傷つけたり、思いもよらない形で誤解されたり、あるいは、悪意にもとづく虚偽の伝達によって騙されたり、そのような形で不本意に朗読サークルを退会していったかも知れない会員の存在である。しかし、残念ながらそれらは既に詮無い話しであろう。
 
 

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館長の朗読指導メモ 87/朗読活動のこれまでの10年間の自己検証(その3)

館長の朗読指導メモ 87   (戦後71年02月28日)



朗読活動のこれまでの10年間の自己検証(その3)



○第1次「朗読活動10年期」の自己検証(7)

 次に、②朗読の指導的な活動のこの10年間を自己検証してみよう。この②朗読の指導的な活動はもちろん①朗読の理論的な活動を土台にしている。そういう意味で①と②は密接に関連している。さて、②朗読の指導的な活動の中心は、私が立ち上げた朗読サークルで定期的に行なっている朗読レッスン(月2回各2時間)である。

 実は、私は朗読活動を本格化させる2年前から朗読指導を始めていた。すなわち、朗読指導歴は12年なのである。その12年間で延べ6地域11朗読サークルを指導した。現時点では5地域6朗読サークルを指導している。私の朗読指導は朗読ステップ1〜6という段階を踏んでいく。1ステップ1年だから、全部で6年かかる。

 朗読ステップ1〜6を終了すると、2期目の朗読ステップ1〜6に入る。2期目が終わると3期目に入る。すなわち、朗読ステップ1〜6を繰り返してレッスンしていく。その過程で朗読サークルの会員は、スパイラル状の階段を昇っていくように、ぐるぐる廻りながら上達していく。最も古い会員は、現在、3期目に入っている。



○第1次「朗読活動10年期」の自己検証(8)

 現時点で、2期目以上の段階にある会員は、全体の約4割を占めている。残りの約6割の会員は、最初の1期目の朗読ステップ1〜6をたどっている。その中には、少数だが、プロの声優や司会者がいる。そういうその道のプロは、朗読ステップ3を過ぎた頃には高度な朗読レベルに達する。一般の会員でもそういう例外はいる。

 そういう例外を含め、現時点で、どこに出しても恥ずかしくない朗読をするレベルの会員が10人弱は存在している。さらに、もうひと息でそういうレベルに到達しそうな会員が20人弱は存在している。もちろん、その他の会員たちも続々とその跡を追っている。高度なレベルの会員に、朗読の舞台をつくるのも私の役目である。

 それらの会員をゲスト出演者に迎えて「小さな朗読館〜感動をつくる朗読をめざして〜」を開催している。一昨年は試行的な公演を1回しただけだが、昨年から年3回の定期公演として本格化した。この「小さな朗読館」と各サークルの朗読発表会と朗読レッスンの組み合わせを、②朗読の指導的な活動の主軸として考えている。



○第1次「朗読活動10年期」の自己検証(9)

 朗読サークルの枠組を超えた一種の拡大レッスンとして、毎年末に「東百道・講演と朗読の会」を8回開催した。取り上げた作家は、宮澤賢治、芥川龍之介、太宰治の3人である。後半の4回分は、録音録画したものを一種の出版物として全国の販売ルートに乗せた。しかし、この「講演と朗読の会」は、講演の準備が大変である。

 毎年末に定期的に「東百道・講演と朗読の会」を開催する計画は、見直す必要があると考えている。逆に、前半の4回分は未だ録音録画していないので、いずれは再演してその4回分を録音録画しなければならないとも考えている。また、定期的な開催を見直すにしても、シリーズとしての講演はいずれ完結させたいと考えている。

 朗読サークルの会員以外を相手にした朗読指導としては、朗読に関する講演とか単独のレッスンや短期集中レッスンなどがある。それらも多少は行なった。しかし、それらは他所からの依頼に応えて行なうのが基本的なあり方であるから、なかなか主体的ないしは体系的に取り組むまでにはいたらなかった。今後の課題である。











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館長の朗読指導メモ 86/朗読活動のこれまでの10年間の自己検証(その2)

館長の朗読指導メモ 86   (戦後71年02月01日)



朗読活動のこれまでの10年間の自己検証(その2)



○第1次「朗読活動10年期」の自己検証(3)

 拙著『朗読の理論』(木鶏社発行)の文章が、立命館大学の入学試験(国語問題)の出題文に採用された理由はよく分からない。色々な理由が考えられるからだ。しかし、立命館大学の入学試験の出題を担当した方々が、この本を高く評価してくれたことは確かだろう。入学試験の出題文選考には、大学の見識が問われるのだから。

 朗読漫画『花もて語れ』の漫画家と担当編集者が『朗読の理論』を主軸的&基盤的な参考文献に選んだ理由は、彼らの証言から明らかである。朗読の題材となる文学作品の作品世界を立体的&臨場的にイメージすることの重要性を力説し、また、そのためのメソッド(方法)を明確に提示した本が他に存在しなかったからである。

 この朗読漫画『花もて語れ』は、おそらく1万人をかなり超す読者を獲得し、それら読者の多くに高く評価された。私も、この朗読漫画『花もて語れ』は、日本の漫画史上に名を刻むだろう傑作と自負している。しかし、それは一部の漫画マニアや漫画家や担当編集者、および朗読漫画の朗読協力&朗読原案者の評価に過ぎない。



○第1次「朗読活動10年期」の自己検証(4)

 必ずしも朗読漫画『花もて語れ』と『朗読の理論』が社会的な評価を得たとは言えない。しかし近年、朗読漫画『花もて語れ』が明らかな社会的評価を得た事態が起こった。第18回文化庁メディア芸術祭・マンガ部門の審査委員会推薦作品と日本財団「世界発見プロジェクト」の「これも学習マンガだ」百冊に選ばれたのである。

 第18回文化庁メディア芸術祭・マンガ部門(西暦2014年)において、朗読漫画『花もて語れ』は、審査委員会推薦作品として次のように紹介されている。

「内気で人見知りの新社会人・佐倉(さくら)ハナが朗読教室と出合い、朗読の魅力に目覚めていく青春マンガ。単に本を読むのではなく、作者や登場人物の想いを声で聴き手に伝える朗読。不器用だけど想像力が豊かなハナは、持ち前の感性で「想い」を声にして届けていく。作中では実在の文学作品が登場し、その意味を読み解くシーンも見られる」

 日本財団「世界発見プロジェクト」の「これも学習マンガだ」においては、ヤマダ トモコ氏(マンガ研究者 /米沢嘉博記念図書館)が次のような「推薦コメント」を記してくれている。

「推薦コメント  本を読むことをテーマにした作品は他にもあるが、朗読の世界を描いたものはいままでなかったのではないか。朗読が、技術の積み重ねのある論理的なひとつの文化なのだということが、この作品を読むとよくわかる。作者は朗読の世界をマンガで表現するために、言葉の主体によってセリフの字体を変えるなど、様々な工夫をしている。言葉と向き合う世界の奥深さや、知的な喜びを存分に感じることができる作品。国語の授業での『音読』の時間が楽しくもなるだろう。まさに『世界発見』の名にふさわしい作品だ。  ヤマダ トモコ(マンガ研究者/米沢嘉博記念図書館)」



○第1次「朗読活動10年期」の自己検証(5)

 これらの紹介や推薦コメントを読めば、朗読漫画『花もて語れ』に対する評価が、内容的に『朗読の理論』の評価をかなり含んでいることは明白であろう。過去10年間の朗読活動のうち、①朗読の理論的な活動の中心的な成果である『朗読の理論』が朗読漫画『花もて語れ』を介して、一定の社会的評価を得たとみなせると思う。

 ただ、その後に上梓した「朗読のための文学作品」シリーズの第1弾『宮澤賢治の視点と心象』については、あまり目立った反応がみられない。この本における「春と修羅」「やまなし」「おきなぐさ」「注文の多い料理店」「セロ弾きのゴーシュ」の解読は、従来にない画期的なものと自負しているが、特記すべき反応はない。

 その他には、毎年末に「東百道・講演と朗読の会」を開催してきた。その「東百道・講演と朗読の会」において、宮沢賢治、芥川龍之介、太宰治の作家論を展開した。そのうち、芥川龍之介の作家論の後半と太宰治の作家論の前半の講演と朗読をすべて録音録画し、ブルーレイ盤あるいはDVD盤として木鶏社から発行&公開した。



○第1次「朗読活動10年期」の自己検証(6)

 芥川龍之介の作家論は4回完結なのだが、録音録画を始めたのは第3回からであった。太宰治の作家論も4回完結なのだが、録音録画したのは昨年末の第2回目までであり、ブルーレイ盤とDVD盤を発行したのは第1回目までである。最新の第2回目の分の発行は今年の第2四半期頃になると思う。こちらの反応も今一つである。

 それはともあれ、第1次「朗読活動10年期」中に開催した8回の「東百道・講演と朗読の会」の内、4回分がまだ録音録画すらしていない。その4回分とは、宮澤賢治の作家論の2回分、芥川龍之介の作家論の2回分である。第2次「朗読活動10年期」において再演して録音録画し、ブルーレイ盤とDVD盤として発行したい。

 戦後70年(西暦2015年)10月12日(月)の朝日新聞の全国版文化欄の「Reライフ」シリーズの一つに、私の朗読理論(『朗読の理論』と朗読漫画『花もて語れ』に展開されたもの)に基づいた朗読の紹介記事「朗読に心をこめて」が掲載された。これは、私の朗読理論が社会的に広く評価された画期と受け止めている。






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館長の朗読指導メモ 85/朗読活動のこれまでの10年間の自己検証(その1)

館長の朗読指導メモ 85   (戦後71年01月31日)



朗読活動のこれまでの10年間の自己検証(その1)



○第1次「朗読活動10年期」の自己検証(1)

 今年の3月末で、私が朗読活動を本格化させてから丸10年の節目となる。仮に、これを第1次「朗読活動10年期」とすると、次の第2次「朗読活動10年期」はどうすれば良いであろうか。今後は、そういうことを構想しながら新たな10年に突入していくことにしたい。次の10年は、私にとって特に大切な期間であるから。

 次の第2次「朗読活動10年期」を展望し、構想するためには、その前に、今までの第1次「朗読活動10年期」がどのような10年であったかを検証する必要がある。そこで、断続的になるであろうが、私の朗読活動のこれまでの10年間の自己検証を少しづつ行なっていきたいと考えている。そうすれば次が見えてくると思う。

 私の朗読活動は、次の3つに分類することができる。その3つとは、①朗読の理論的な活動、②朗読の指導的な活動、③朗読の実演的な活動、である。ただし、①朗読の理論的な活動は、かなり幅広くとらえている。朗読のための文学作品論の展開、あるいは、朗読漫画『花もて語れ』の朗読協力&朗読原案も、これに含めている。



○第1次「朗読活動10年期」の自己検証(2)

 まず、①朗読の理論的な活動の、この10年間を自己検証してみよう。何といっても、私が朗読活動を本格化させた2年後に『朗読の理論』を上梓したことが大きい。この本の出版を引き受けてくれた木鶏社には、心から感謝している。この本は、出版直後に、日本図書館協会選定図書に選定された。初めての社会的評価であった。

 この『朗読の理論』(木鶏社発行/星雲社発売)は、発行の翌年の戦後64年(西暦2009年)2月に、立命館大学の2009年入学試験(国語問題)の出題文に採用されたのである。これは全く私の想定外の出来事だった。しかも、この試験問題は大手の進学塾の国語の問題集にも採用され、今も受験生の眼に触れている。

 そして、同年10月に、この『朗読の理論』を読んだ漫画家・片山ユキヲ氏および小学館の担当編集者・高島雅氏より、日本で初めての朗読漫画『花もて語れ』に対する「朗読協力」を依頼され、受諾したのである。その朗読漫画『花もて語れ』は、翌2010年から2014年まで漫画雑誌に連載された(単行本全13巻完結)。









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